二つに見えて、世界はひとつ

イメージ画像を織りまぜた哲学や宗教の要約をやっています。

不可知の雲

2024-07-15 19:52:00 | キリスト教神秘主義
おそらくそのとき神はときおり神との間に介在する「不可知の雲」を突き破って霊の光を放射し人の語ることのできない神の秘密の一部をあなたに示すであろう。 
 
  ウィリアム・ブレイク画      
 
 14世紀イギリスのキリスト教神秘主義的書物「不可知の雲」から、仏教の禅との類似を指摘される文章です。


 自己を忘れること

 …それ故に、あなたが持っているなにかある被造物に関する知識、特にあなた自身に関して所有しているすべての知識と感情を捨てなさい。なぜなら、一切の被造物にたいする知識と感覚は、すべて自己にかんする知識と感覚に依存しているからである。

 そして自己を忘れることにくらべれば、他の被造物を忘れるほうが比較にならないほど容易なのだ。

 あなたがこの試行に熱心にとりかかれば、すでに他の全被造物とその働き、およびあなた自身の活動を忘れてしまったあとでもなお、あなたと神とのあいだに、あなた自身の存在の赤裸な知識と感覚がのこっていることを見いだすであろう。

 あなたが観想活動の完成を感じるに先立ち、この自己にたいする知識と感覚を根絶することが必要である。43章)

 …これを「無」というのは誰であるか。それは、外的な人であって、内的な人ではない。内的な人は、それを「万有」と呼ぶ。(68章)


 自己を忘れること

 凡人は外のものを取るが道を求める人は内の心を取る。そして外も内も忘れてしまう。外のことを忘れるのはまだしも簡単だが心を忘れるのは至難のわざである。

 多くの人は心を忘れることができない。虚無に落ち込んでしまうと恐れるからである。

 ところが「空」には無なるものはなく、あるのは万有あるがままの世界なのである。
        伝心法要5


 
 黄檗希運、おうばく きうん、生年不詳 -(850年))は、中国唐代の禅僧。黄檗山黄檗寺を開創。臨済宗開祖の臨済義玄の師として知られる。


イスラムのスーフィーは、この主題を下記の一文に要約している:

 自己を忘れること

 ズィクルの最初の段階とは、自らを忘却することである。ズィクルの最後の段階とは、礼拝の際に礼拝行為をする自らを忘却し、礼拝行為を意識することもなく礼拝の対象に没入することである。このように没入する者は、礼拝する自分に再び戻らず永遠に没入することになる。これを「消滅からの消滅」(fana al-fana).と呼ぶ。


 ファナー(消滅)

 ファナーについてガザーリーは、次のようにいう。

 「スーフィーの目には一者以外には何ものもみえないし、また自己自身すらみえない。彼らはタウヒード(唯一性)の中に没入しており、そのために自己自身さえ気付いていない。その時、彼らはそのタウヒード体験の中で、自己自身から死滅している。自己をみ、他の被造物をみることからも死滅している。」

ガザーリーはその心理的特徴について、「畏怖の念で潰滅している状態」、「心は歓喜に満ちあふれ、それは身も心も崩れるばかりに強いもの」、「神の真性が完全に啓示され、・・・あらゆる存在の形式が心の中に開示されるほどに心が拡げられる」「太陽の灼光」のごときもの、と説明している。


生ける光の体験

2024-07-15 19:14:00 | キリスト教神秘主義


   
 ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098-1179)

中世ドイツのベネディクト会系女子修道院長であり神秘家、作曲家。史上4人目の女性の教会博士。 神秘家であり、40歳頃に「生ける光の影」の幻視体験をし、女預言者とみなされた。Wikipedia 
 

 生ける光

 「子供の頃から」と彼女は語った。
 
 私はいつも、私の魂の中に光を見るのです。それは外的な眼で見るのでもなければ、心の中の考えによって見るのでもありません。外的な五官は、この視覚には関係がないのです。

 …私が感じる光は

 場所的なものではなくて、太陽を運ぶ雲よりもずっと明るいのです。私はそこに、高さも広さも、あるいは長さも区別することができません。

 私がそういうヴィジョンの中で見たり学んだりすることは、いつまでも私の記憶の中に残っています。私は見、聞き、そして同時に知るのですが、私は、私の知ることをいわば瞬間のうちに学んでしまうのです。

・・・この光の中には、全くどんな形もみつけることはできません。もっともその中に、ときどき、私が生ける光と名づけた別の光を認めることはあります。

・・・私がこの光をみることに恍惚としているあいだ、あらゆる悲しみと苦悩は、私の記憶から消え去っているのです。 

 
彼女の描いたマンダラ

不変の光

2024-07-15 19:02:00 | キリスト教神秘主義



 神秘主義宗教の主な特徴として「光」の体験が挙げられます。そしてそれは普通に見られる光とは異なったものです。これに関しては多くの記録が残されていますがそれらの中でも特に有名な人の体験をいくつか紹介します。
 
 アウグスティヌス(4~5世紀)はキリスト教の神学者。聖ヒエロニムスに助言を求める手紙を出したところ、書斎に光が満ち、ヒエロニムスの声が聞こえたという。

  

 わたしは書物から自分自身にたちかえり、わたしの心の内奥に進んでいった。

 わたしは進んでいったとき、私の魂の目にはそれはなおかすんでいたが、まさしく魂の目の上に、わたしの精神の上に、不変の光を見た。

 それは、肉眼にも見えるような普通の光ではなく、万物を照らすというような光でもなかった。

 わたしが見た光は
 そういう光ではなく

 このようなすべてとはまったく異なったものであった。

 …真理を知るものは
    この光を知り、

 この光を知るものは
     永遠を知る。

 それを知るものは愛である。

―中略―

 天上からあなたの声が聞こえるように思った。そこでわたしは「真理は有限の空間にも無限の空間にもひろがらないから、無であるのではなかろうか」とたずねた。

 そうすると、あなたははるか彼方から、

「わたしは
 存在するものである」

  と叫ばれた。

 わたしはこの声をあたかも心で聞くように聞いたので、疑いの余地はまったくなくなり、「造られたものによって悟られ、明らかに知られる」真理の存在を疑うよりはむしろ自分が生きていることを疑ったであろう。

 アウグスティヌス/「告白」7巻10章