ゴータマ・ブッダは、紀元前5世紀前後の北インドの人物で、仏教の開祖。
以下はブッダの思想のもっとも基本的なものである「無我」の教えです。南伝のパーリー経典から幾つか選びました。
聞いたことのない教え
あなたたちよ、わたしの教えを知らなくてもこの<身>のあることを歎き、厭い、解放されたいと願う者は多い。そこに生死老病を見るからである。しかし、この<心>と呼ばれるものについてはこれを厭い、これから解放されたいと願う者はいない。
なぜなら、彼らはそれを「自分」であると信じているからである。しかしながら、この心を「自分」と思うよりも、身体を「自分」と思うほうがまだしもましなのである。
なぜなら、この身体は50年あるいはもっと長く存続するであろう。しかしこの<心>と呼ばれるものは、日夜に転変し生じては滅するものなのである。
南伝大藏経13巻
相応部経典12「無聞」
砂の城
あなたたちよ、世間の人々が心といい身体と呼んでいるのは砂で造られた城のようである。それは、まるで子供たちが砂で城をつくって遊んでいるようなものである。
渇愛のある間は彼らはそれに夢中になっているのだ。しかし、渇愛がなくなれば、彼らは自分の手であるいは足でその砂の城を壊して立ち去るのである。
相応部 ラーダ相応-2「衆生」
つながれた犬
あなたたちよ輪廻はその始まりがわからない。無明におおわれ、渇愛に縛られ流転し輪廻する人の過去はしられない。
まるで彼らは柱に革紐でつながれた犬のようである。
いくら歩いても立っても寝そべってもいつも柱から離れられない。ただ柱のまわりをいつまでもグルグルと回るばかりである。
私の教えを知らない世俗の人々は、この犬のようである。この肉体を自分だと思い、心や感情の動きや、その思いなどを自分そのものであると思い込む。
これが彼らの柱であり、いつもこのまわりをグルグルと回り歩いている。
相応部 蘊相応100「繋縄」
絵の中の世界
「あなたたちはチャラナという絵を見たことがあるか。」そう言ってブッダはビクたちに語りかけた。
あの絵は、人の心が描き出したものである。あなたたちよ、あの絵より、さらに多彩なものを人の心は描き出す。
あなたたちよ、絵かきは白い布に絵筆をはしらせ、美しい女の姿やあるいは男の姿を、その顔立ちから身のこなしまで実にたくみに描くものである。
わたしの教えを知らない世間の人々は、絵かきと同じようにその心の筆で、さまざまなものを描き出しているのだ。そしてそのことに気づいていない。
相応部 蘊相応100「繋縄」
重荷
重荷とはあなたの心であり、あなたの思いであり、あなたの身体である。
そうとは知らずに背負うのが世間の人である。その世間でも荷物を背負うのは苦といい、荷物をおろすのは楽と言う。
あなたは重荷を捨てるがよい。重荷を取ってはならない。
渇愛を根絶したならば人は無欲にして涅槃に入る。
相応部 蘊相応重荷品「重荷」
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