こんにちは ヨシです。
1990年代、リンディホップのリバイバル全盛期でした。
あるCM(ソング)がきっかけで、スウィングに火がついたのです。
1920年代後半に、サボイボールルーム(in ハーレム)を中心に、
伝説のリンディホッパーであるフランキー・マニング氏を中心にリンディホップのダンスチームなどが活躍していました。
そこから下火になりましたが、郵便配達などやっていたマニング氏もリンディが90年代に復活して高齢者になってからスウィングダンス界で再び活躍するようになりました。
マニング氏のバースデーダンスはよく彼の年齢と同じ人数分の女性と続けて踊ることは有名な話でした。80人、90人とか。
マニング氏と私の関わりというと、NY在住中WSなどは受けていましたが、ある時私に知らない人から電話がかかって来て、
日本人のカップルでマニング氏の前で軽く踊ってほしい。
他の人も踊っているから大丈夫と言われまして軽い気持ちで引き受けた私は、
友達と一緒に一応軽く振り付けてナッシュビルまでスウィングの大会に行きました。
世界中から名だたるリンディホッパー達が来ていて、
ある時間、国や都市の出身地のアナウンスが入りながらマニング氏の前でカップル毎にダンスを披露していくことになり、
ひょっとしてここで呼ばれるのでは無いだろうねと友達と言っていると「ヨシーー&ーーーfrom Japan」「Oh my God‼︎」
何とか一応無難としか言えないダンスを披露して少ない拍手の後、
その当時から流行り出してきたウエストコーストスウィングから来たハリウッドスタイルのリンディホップを若いアメリカンのカップルが
踊った後の我々と全く違う大きな拍手を聞いた時はガックリとなりました。2000人くらい人はいたと思います。
スウィングミュージックとは切り離せないタップダンスについても同じような状況でした。
1930年代に活躍していた黒人ダンサー達の活躍する場が戻って来たのでした。
ブロードウェイミュージカルの「ブラック&ブルー」では私が習っていたタップの先生であるヘンリィ・リタング氏もリンディホップのマニング氏も振り付けに加わってトニー賞を貰いました。往年のフッファー(タップダンサー)達が勢ぞろい。
映画ではリチャード・ギア主演「コットンクラブ」サミーデイビス主演「タップ」、
どちらの映画も当時のタップダンサーの第1人者であるグレゴリー・ハイン氏が出演、これらの作品はどれも私のお気に入りでした。
この頃にグレゴリー・ハイン氏とセイビアン・グローバー氏主演、黒人中心の「ジェリーズラストジャム」、
そして白人中心の「クレージーフォーユー」のどちらもタップダンスが中心のブロードウェイミュージカルが上演されてました。
この頃私は黒人ダンサー達とよくタップをやっていて、「今年のトニー賞はどれ?」と話が出た時、
やはり黒人の友達は「ジェリーズラストジャム:」
私はこの友達の気持ちはわかりましたが、結果は今でも劇団四季が時々やっています。
私は、大抵の一流黒人ダンサーなら習いに行く、
世界的に有名なアルビンエイリー(モダン中心)とダンスシアターオブハーレム(バレエ)の2つのダンススクールに殆ど毎日6年間通いダンスの基本を身につけました。
一流の、ダンスにおいての大学、大学院に通ったようなものです。
タップダンスは別のスタジオに通っていました。どちらのダンスカンパニーにもできたら入りたいなとは思っていましたが、
私はペアダンスの世界に入るようになっていたんだなとよく思います。
日本では知られてるかどうかわかりませんが、アメリカ人のバディシュイマー氏も知ってて貰いたい存在です。
ウエストコーストスウィングダンサーですが、ナイトクラブトゥステップを作った人ですし、
氏の家族皆がスウィングダンサーとして有名です。
私はこの人のWSで普通のクラスでは習わない2歩のスウィングを覚えました。
いつから始まったのかわかりませんが、NYでは夏になるとリンカーンセンターの広場で
「ミッドナイトサマーフェスティバル」というイベントが毎年行われます。
バンド用のステージとダンスフロアが作られて8月の1ヶ月間毎日、
違うバンドとNYの メジャーなペアダンススタジオのレッスンがあります。
私はピエール・ドュレインダンスクラブの講師もしていましたから何度かアシスタントとして行った事があります。
土日は、やはり人気のあるスウィングかサルサの日です。 ダンスフロアに入れない人は皆周りを囲むように生バンドの演奏で踊っていました。 こんなイベントを日本でやりたいと時々思います。
写真のDVDの私のこの時のアシスタントは、2017年アルゼンチンタンゴのアジアチャンピオンの清水みきさんです。
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