■「旭日旗は、韓民族の軍旗がモチーフ」
日本軍国主義を象徴する旭日昇天旗が、実は韓民族の軍旗に使われた「韓」の模造品だという興味深い主張が出てきた。
旭日旗は日本軍が第2次世界大戦当時に志気高揚手段として使用し、戦後は右翼団体が戦時体制を取るために使った。
このため、日本の歴史認識退行を見せる代表的な象徴物と見なされている。
高麗大学の金采洙(キム・チェス)教授(日本文学)は、「サッカー韓日戦でたびたび問題になる旭日旗は『韓』を土台にして作られた可能性が高い」と明らかにした。
金教授によれば「韓」は「朝の日差しがまばゆく光る姿を現わす旗」を意味するが、旭日旗はそうしたイメージがより強烈に形象化されたものだ。
だが、これは旭日旗の「歴史的原罪」をなくすことではない。金教授も、「日本人の旭日旗使用を『韓』の掲揚行為と見ることができる幅広い見解を提示したい」と語った。
金教授のこうした独特の「旭日旗模倣説」は、「アルタイ文明論」に基づくものだ。
金教授は最近、アルタイ文明に関する最初の単行本『アルタイ文明論』を出版し、韓・中・日3国の民族・文化的紐帯関係をグローバルな視点から考察した。
金教授のアルタイ文明論は檀君「神話」として放置されてきた韓民族の起源を探す過程だ。
金教授は、「東アジア古代国家形成に絶対的影響を及ぼしたものこそアルタイ文明だ」として、「今は一つの民族的見地(nationalism)や同一文化圏的見地(regionalism)を止め、全地球的見地からで物事を見るべき時だ」と意味を付与したが、旭日旗に対する破格的な解釈もこの過程から出たものだ。
アルタイ文明とは紀元前2000~3000年にユーラシア大陸中央に位置するアルタイ山脈の近隣で形成された青銅器文明を指す。
アルタイ文明がメソポタミア地域で紀元前3500年頃発生した青銅器文明の東進過程で形成された後、東アジアの遼河地域と韓半島、そして日本列島まで伝播した、というのがアルタイ文明論だ。
簡単に言えば、現在の私たちが檀君朝鮮をたてた檀君王倹の子孫というなら、檀君朝鮮はまさにこのアルタイ文明の影響下にたてられたわけだ。
金教授は、「遼河地域に青銅器文明が形成される過程で古朝鮮(紀元前2300年頃)が成立した。檀君王倹がたてた国は遼西、すなわち内モンゴル付近だと把握される」と述べた。
これは既存の国内古代史学者が、韓半島北部の大同江流域を檀君朝鮮のあった地域だと見るのと異なる。
金教授は、「遼河地域と韓半島の北部地域はユーラシア草原路を通じて旧石器時代以来文化的・人的交流が絶えずなされてきたので、韓半島の青銅器文明も遼河文明の影響下に生じたのであろう」と述べた。
したがって韓半島西北部の民族は遼河の遼西地域で青銅器文明を起こした民族の一派だという立場も自然に成立する。遡ればこの一派はアルタイ地域から青銅器文物を持って遼河へ到来した人々だ。これを根拠に金教授は、「檀君神話で語られる檀君王倹の父親桓雄は空から降りた者でなく、まさにこの渡来人のことだ」と説明した。
ややもすると金教授の主張は中国の歴史歪曲プロジェクトである東北工程と似ているような誤解を招く。東北工程論者は遼河文明影響の下に黄河文明が形成されたとして、古朝鮮など韓半島の歴史を中国史に編入させようとしている。
金教授はこれに対して、「アルタイ文明論によれば遼河文明を起こした民族はアルタイ語族(主語-目的語-動詞で構成されたSOV型言語を使う民族)に他ならない。その点で全く立場が違う」と述べた。
すなわち遡れば中国東北工程の核心である遼河文明の主体は「漢民族」ではなく「韓民族」だ。
古朝鮮を起こしたこの遼河文明はその後、韓半島に三韓(訳注:馬韓・弁韓・辰韓)と三国(訳注:高句麗・百済・新羅)を誕生させ、日本列島に渡って現在の天皇家を主軸にした古代国家を作ることになる。
ここに至って改めて、「韓」が旭日旗の母胎になったという主張が突飛な解釈ではないということが分かる。
▽ソース:文化日報(韓国語)
http://www.munhwa.com/news/view.html?no=2013103101032330017002
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=021&aid=0002175001
━━・・・・・━━
いつもの事ながらチョンの話は何がメインなんだか、よく分からなくなる。
「朝鮮からの渡来者が天皇となり日本という国を作った」
こういう、願望の妄想ばかりで、一番大事な因果関係の根拠がサッパリ。
日本軍国主義を象徴する旭日昇天旗が、実は韓民族の軍旗に使われた「韓」の模造品だという興味深い主張が出てきた。
旭日旗は日本軍が第2次世界大戦当時に志気高揚手段として使用し、戦後は右翼団体が戦時体制を取るために使った。
このため、日本の歴史認識退行を見せる代表的な象徴物と見なされている。
高麗大学の金采洙(キム・チェス)教授(日本文学)は、「サッカー韓日戦でたびたび問題になる旭日旗は『韓』を土台にして作られた可能性が高い」と明らかにした。
金教授によれば「韓」は「朝の日差しがまばゆく光る姿を現わす旗」を意味するが、旭日旗はそうしたイメージがより強烈に形象化されたものだ。
だが、これは旭日旗の「歴史的原罪」をなくすことではない。金教授も、「日本人の旭日旗使用を『韓』の掲揚行為と見ることができる幅広い見解を提示したい」と語った。
金教授のこうした独特の「旭日旗模倣説」は、「アルタイ文明論」に基づくものだ。
金教授は最近、アルタイ文明に関する最初の単行本『アルタイ文明論』を出版し、韓・中・日3国の民族・文化的紐帯関係をグローバルな視点から考察した。
金教授のアルタイ文明論は檀君「神話」として放置されてきた韓民族の起源を探す過程だ。
金教授は、「東アジア古代国家形成に絶対的影響を及ぼしたものこそアルタイ文明だ」として、「今は一つの民族的見地(nationalism)や同一文化圏的見地(regionalism)を止め、全地球的見地からで物事を見るべき時だ」と意味を付与したが、旭日旗に対する破格的な解釈もこの過程から出たものだ。
アルタイ文明とは紀元前2000~3000年にユーラシア大陸中央に位置するアルタイ山脈の近隣で形成された青銅器文明を指す。
アルタイ文明がメソポタミア地域で紀元前3500年頃発生した青銅器文明の東進過程で形成された後、東アジアの遼河地域と韓半島、そして日本列島まで伝播した、というのがアルタイ文明論だ。
簡単に言えば、現在の私たちが檀君朝鮮をたてた檀君王倹の子孫というなら、檀君朝鮮はまさにこのアルタイ文明の影響下にたてられたわけだ。
金教授は、「遼河地域に青銅器文明が形成される過程で古朝鮮(紀元前2300年頃)が成立した。檀君王倹がたてた国は遼西、すなわち内モンゴル付近だと把握される」と述べた。
これは既存の国内古代史学者が、韓半島北部の大同江流域を檀君朝鮮のあった地域だと見るのと異なる。
金教授は、「遼河地域と韓半島の北部地域はユーラシア草原路を通じて旧石器時代以来文化的・人的交流が絶えずなされてきたので、韓半島の青銅器文明も遼河文明の影響下に生じたのであろう」と述べた。
したがって韓半島西北部の民族は遼河の遼西地域で青銅器文明を起こした民族の一派だという立場も自然に成立する。遡ればこの一派はアルタイ地域から青銅器文物を持って遼河へ到来した人々だ。これを根拠に金教授は、「檀君神話で語られる檀君王倹の父親桓雄は空から降りた者でなく、まさにこの渡来人のことだ」と説明した。
ややもすると金教授の主張は中国の歴史歪曲プロジェクトである東北工程と似ているような誤解を招く。東北工程論者は遼河文明影響の下に黄河文明が形成されたとして、古朝鮮など韓半島の歴史を中国史に編入させようとしている。
金教授はこれに対して、「アルタイ文明論によれば遼河文明を起こした民族はアルタイ語族(主語-目的語-動詞で構成されたSOV型言語を使う民族)に他ならない。その点で全く立場が違う」と述べた。
すなわち遡れば中国東北工程の核心である遼河文明の主体は「漢民族」ではなく「韓民族」だ。
古朝鮮を起こしたこの遼河文明はその後、韓半島に三韓(訳注:馬韓・弁韓・辰韓)と三国(訳注:高句麗・百済・新羅)を誕生させ、日本列島に渡って現在の天皇家を主軸にした古代国家を作ることになる。
ここに至って改めて、「韓」が旭日旗の母胎になったという主張が突飛な解釈ではないということが分かる。
▽ソース:文化日報(韓国語)
http://www.munhwa.com/news/view.html?no=2013103101032330017002
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=021&aid=0002175001
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いつもの事ながらチョンの話は何がメインなんだか、よく分からなくなる。
「朝鮮からの渡来者が天皇となり日本という国を作った」
こういう、願望の妄想ばかりで、一番大事な因果関係の根拠がサッパリ。