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Blog☆HiloⅡ

ジェンダーと自己実現:広岡 守穂著

ジェンダーという言葉が気になって読んでみました。
著者は「あとがき」で,「日本は男女平等がなかなか進まない国である」と書いています。
ジェンダーギャップ指数が124か国中104位というのがその根拠だそうだ。具体的には,「女性の能力を発揮する機会が大幅に制限されている」ということを上げている。そのこととジェンダーギャップが結びつくかどうかは判然としないが,確かにこの具体例は事実だと思う。そこはしっかり改める必要があるだろう。しかし,本文を読み進んでいくと何か不自然なものを感じてきます。
子供は預けることが最善策だと記載されているのですが,果たしてそうなのだろうか?私はむしろいろんな選択肢があるべきだと考えています。子供を預けて働くもよし,自分で育てるという選択肢もよし。何故そういう発想にならないのか不思議です。専業主婦を選択する人がいてもよいではないか。
私の友人に保育士として働いている人がいます。彼女は子供が1歳になった時に子供を保育園に預けて仕事に復帰しました。ところがある日,自分の子供を預けて他人の子供の世話をしていることに疑問を感じたそうです。彼女はすぐに仕事を辞めて子育てと地域活動に専念することにしました。そして,二人目の子供が小学校を卒業した時に再び保育士として働き始めました。子育て中は夫の扶養家族となり,税の扶養控除を受けてきたわけです。
しかし,著者も政府もこうした専業主婦を否定しています。安倍首相は,1億総活躍社会を実現させるためには,全女性を社会に出させて働かせようと必死になっています。それはなぜか?人口減少が大きくかかわっています。30年後には日本の人口は1億人を切ることが確実です。それがわかっているからGDPを押し上げるためには女性を働かせることが必要になってくるのです。
話がずれてしまいましたが,「男女平等とジェンダー」。横文字が入ってくるから余計ややこしいですよね。著者は,「男女を区別する文化はいけないことだ」と書いていますが,5月5日はこどもの日だけど,端午の節句でもあり男の子の健やかな成長を祈願する風習があります。日本の伝統文化です。これはどう考えればいいんだろう。私はジェンダーなんて言う横文字を出すこと自体いかがなものかと思っています。男も女もパートナーがお互いに理解しあえばいいわけです。そもそも結婚した男女が好き勝手な働き方をしたら破綻することは見えています。
話は政府の政策に飛びますが,安倍さんは女性の活躍にかこつけて,税の扶養者控除を廃止しようとしています。さらに130万円の壁も崩れてしまいました。働きたくても働けない女性を救うためだと言っている。それは違うでしょう。前述の保育士の友人のように子供が小学校を卒業するまでは家庭にいたい。子育てに少し余裕が出てきたら地域活動やパートタイム(106万円では低すぎる)で働きたい。その時期を過ぎたら完全復帰したい。そんな生き方もあります。何故多様な生き方を阻むような政策を打つのか私には理解できません。
アメリカでこうしたことがあまり話題にならないのはなぜか?日本に比べて保育の質も低いのに,合計特殊出生率が高いのはなぜか?ヒスパニック系が多いということもあるでしょう。しかし,それよりも働き方に自由度があることの方が大きいと思います。日本だって保育園を増やすことばかりにとらわれず,もっと多角的な視野で見ることが必要なんじゃないでしょうか。あんな落書きのようなブログに一国の総理大臣があたふたしているようでは明るい未来など見えてこないでしょう。
ちょっと脱線しすぎました。軌道修正しましょう。
著者の言わんとするところ。。
「男は仕事,女は家事」そうした既成概念を廃して,女性が能力を発揮する機会を妨げない社会を作る。そのことに対しては私も異論がありません。
しかし,ジェンダーについては???
ひな祭り,端午の節句,大和撫子はどう考えればいいのか?
ジェンダーを唱える人たちは,おとぎ話の「桃太郎」についてもけしからんとおっしゃる。そこまでこだわる必要があるんだろうか?
思いつくままをだらだらと綴ってきましたが,これらのことについて議論する気はありませんので反論は一切受け付けません。
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