今日も昼飯は、遅い目に家で食えました。
あっという間に出来る、貧乏飯です。
その前にご飯が無かったから、買うてきました。
ご飯を買うなら、絶対に「ポプラ」です。
ご飯の盛りは日本一やろね。
熱々のご飯だけでも売ってるんです。
ただ、親父には裏技があるんです。
一番安いポークカレー330円をご飯大盛りでお願いするんです。
21円割増の351円です。
一言「盛ってや」て、小さい声でね。
それがこれです。
カレーのルーを入れるスペースは無いんです。
解りにくいので
こんな盛りのご飯なんです。
今日、体重計で測ったら、800グラムでした。
ご飯だけで買うたら350グラムの大盛りが200円なんです。
それでも冷凍ご飯よりずっと安いんですけどね。
親父はルーは後日食うので置いておくんです。
今日のメニューは、素うどん&なたね丼です。
素うどんなんやけど、寂しいのでとろろ昆布とネギは入れました。
そう言うと、大分にかけうどんはあっても素うどんは無いな。
言うか、「素うどん」て関西だけの言い方なんかなぁ。
そう言うと「なたね」もうちの家ではいつも使うけど聞かんわ。
炒り卵て皆は言うんかなぁ。
スクランブルエッグとは絶対に違うんよね。
なたねは鍋、雪平鍋で作るんや。
親父は出汁を入れて作るんやけどね。
うどんもなたねも鍋一つで5分で作れる貧乏飯ですわ。
けどな、子供の頃はなたねがごっつぉうやったんやで。
この貧乏飯に贅沢煮があったら最高やったやろな。
贅沢煮も最近食ってへんな。
今度、贅沢煮とおからを作ってみよう。
おやつは、はったい粉がエエな。
付録
味付け玉子を作ってます。
黒霧島の一合カップで作ってます。
にぬきをスガキヤの濃縮ダレを2倍で薄めて浸けてます。
これもなかなか美味いんですよ。
ポプラのごはんで親父でも3食は食えます。
カレーはいつ食いますかな?
「ポプラてコンビニは知らんけど、なかなかやるな。」と思われたらポチッとお願いします。
ありましたねー。
露天商と見間違うような,
奥行きがほとんどないお店。
年代物の町家はもう存在していないのでしょうか。是非見てみたかったです。
あの頃の商店街の姿が蘇ってきました。
滋賀県で最初に出来たアーケード商店街で滋賀県の中心だったんですよね。賑やかな頃の商店街に毎日のように母に連れられ通っていました。
あの頃、店舗を持たずに出店のようにしている所も多くあり、磯谷という大きいお菓子屋さんの角には手芸用品のようなものを売る出店がありおばあさんが売っておられましたが、母はよくそこで糸や針買ってました。
西友の右から日赤に抜ける道には履物のお店もありました。
今は随分静かな商店街になってしまいました。。
丸屋町の平井酒造はまだ残ってますけど。
小売りはしてませんでしたが,
確かに酒粕だけは店頭で販売してました。
アーケード側の入口から日赤側入口まで,
一気通貫で酒造会社の土地でした。
日赤側が住居で,これまた明治中期に作った年代物の町屋でした。
土地とバーターで出店権もとり,
西友地下に酒販店を出し,叔父は責任者でしたが,
酒量が増えて,早逝しました。
西友の敷地が酒造会社のものだったと聞いて、ちよっと思い出しました。黒っぽい蔵のような造りの大きな建物があってお店はされてなかったのですが、その前で机のようなものを並べて酒粕を売っておられたような記憶があります。。
逢坂学区も随分変わりましたね。
昔はどこも雑然とした感じでしたもの。
チェーンストアの建物は赤っぽかったのような記憶があります。明るく整然としていたと思います。
祖母と叔母一家が東浦→長等→朝日ヶ丘と転々としてます。
最初は駅前再開発(中央大通),二回目が西友大津店開業です。
私自身も,西友以前の商店街の姿は思い出せませんが,叔父が務めていた(役員だった)酒造会社は相当に大きかったですよ。
西友の3分の1ぐらいは徳田酒造の敷地だったはずです(酒造そのものは野洲市に移転してます)。
大阪チェーンストアは札の辻の,いま空手道場がある場所でしたよね。物心が付いて私が最初に体験したスーパーマーケットでしたね。コマストアーよりも整然としていた気がします。
桑原設備違うて桑村やったわ。
親父より3つ上で附属から膳所高へ行って野球部で甲子園へ行ったわ。
ピッチャー遠藤・ファーストが桑村やったわ。
学区は何になるかは、あかおくん頼むわ。
コマ・コマ・コマストアーは親父も知ってるで。
安藤のこんぶ屋は今でもあるんかな。
いつも京都から輸入や。
かしわ言うたら祖父江やもんな。
柴屋町の店にも何度か行ったわ。
ポチャッとして色っぽなってたなぁ。
スナックもやってたしよう行った。
西友か。よう行ったけど
田中家具の通りやったかなあ。
友達が好きだったんですよ~
「ジャン」って言うカッコいい男の子でした。
あの商店街には毎日連れて行かれてました。
西友が出来る前、あの場所にはどんなお店があったのか。。もう思い出せません。
西友はあの場所になるまえは商店街に入る脇道にありましたね。回転焼のお隣。
その前はコマストアと言いました。
アーケード商店街に並行する一本西の道には大阪チェーンストアってのがありました。
青い実山椒が手に入ります。
蜜柑など柑橘類と産地は重なるはずなんですけど。
西友ができるまでは,鶏肉・鶏卵は祖父江と決まっていたのにね。
大津の商店にとって,西友こそが最終破壊店舗だった気がします。
私の叔父・叔母は西友から「立ち退き料」をもらって,朝日ヶ丘に家を建て,西友にインストアも出店してたんで,会計的にはプラスやったですけどね。
祖父江さんは姉ちゃんも妹も知ってるで。
キャンデー屋、まだあるんや。ソフトクリームもかき氷もやってるのやろね。
三井寺界隈は、宮川印刷・中島貸物店・桑原設備とかがあったな。
三井寺の線路脇? 近又 何かありましたっけ? 京阪電車は三井寺駅が最寄だったんですが。。
卵と鶏肉と言えば祖父江さん。
あれ?もしかすると、一年上で付属に行っておられる女の人がいらっしゃったような?
私の父の父。つまり祖父は父が小学校六年の時に亡くなってますが(つまり昭和17年位かと)
三井寺~浜大津の線路道でタクシーに跳ねられそれが原因で2年後位に亡くなったそうです。
車が少ない時代だからこそ、双方ともに怖さがわからない時代だったのかもしれません。
橋本のアイスキャンディー屋さんは健在。
マスコミでも取り上げられたりして 結構人も多いです。今はソフトクリームが人気のようです。
瀬田川のしじみ売りは、三井寺界隈にはいらしてなかったような気がします。。
親父は子供の頃からずっとなたねやわ。
三井寺の線路脇の近又で聞いてみよか。もう無いのやろな。
瀬田川のしじみ売りは子供の頃リアカーで売りに来てたわ。
臨湖庵もよう行ったなぁ。
自転車でサンヨーのプールへ行って泳いで橋本のアイスキャンデー屋でキャンデーを食うのが楽しみでした。
親父の祖父は昭和31年に自転車で粟津から石山へ、にぬきを買いに行って当時は少ない車にはねられ死にました。
おふくろさんの料理が一番やで。鷹の爪の辛さなんか辛抱せんとな。
そやけど、浜松には実山椒があるんかな。大分には実山椒が無いんやわ。
こうこも今の人達は言わんのやろね。
親父の好きなおばんざいは、おからやろな。ほんまに美味いおからは酒のあてにも最高や。
初耳でした。
炒り卵の事なんですね。
うちの母は「卵のぐぢゃぐちゃ」と言っていました。「卵のぐぢゃぐぢゃ つくったげよか」と。。(笑)
「にぬき」は大津でも若い人はもうわからないんじゃないかなぁと思います。私も使わないけど、わかる。。って程度です。
懐かしい響きです。
たぶん,最後まで作る料理になるんとちゃうかな。
もともと高血圧対策で家でも始めた「贅沢煮」やけど,
味蕾が乏しくなったんか,出汁の味と鷹の爪(または青山椒)の辛さがますます強うなってます。
京都や金沢の「おばんざい」としては不滅と違うかな。「おこうこのたいたん」
もしくは天津飯やね。
煮抜きと氷みかんは京都駅でバァさんに買うてもらえる唯一のオヤツやったです。
親父、今でも旅に出る時は家で煮抜きを作って持っていきます。
炒り卵て何かわからんかったんを思い出すわ。
この頃、贅沢煮を食ってへんし見てへんけど、あるんかな。
それから、煮ぬきもきっと知らない人多いですよ。
わたしは親父様の過去ブログで知りましたけど。
簡単でおいしいごはんはいいですね。
雪平で作る炒り卵ですけど,
できるだけふわっと黄色を保って作ります。
「なたね」で通じるのは母と私だけです。