知覧平和観音像です。
拝んでいただけたら幸いです。
そして、映画【ホタル】・【俺は、君のためにこそ死ににいく】を見ていただきたい。
そして何かを感じたら是非、知覧へ行って欲しいと思います。
知覧護国神社の参道の動画です。
桜もほぼ散り、寂しさを感じました。
今年は英霊が帰っていったんやなぁと。
また、来年の春この地で若者達のパッと咲く笑顔が見たいです。
満開の知覧の参道は、こんなに綺麗なんですね。
開聞岳を指差す兵士と見送る母、そして桜です。
韓国人の特攻兵の碑と桜です。
今回もこの碑の歌を読み、涙しました。
光山少尉
平和の鐘と桜です。
親父は未だこの鐘を突いた事が無いです。
この鐘を突くのは、最後の知覧参拝においております。
護国神社・平和観音にお参りの後、知覧の街・武家屋敷まで歩きました。
鳥浜トメさんの富屋旅館・映画で使われた富屋食堂も、近いうちに記事にします。
今日の大分は、天気も良く良い休日です。
平和の有難味を感じながら、これからの人生を送りたいです。
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韓国兵の為の石碑を日本人が韓国に建てようとしたら大反対されて断念した事が1,2年前にあったと思いますが、「日本の為に死んだ奴の石碑なんか」その考え方が残念です。
流石に南国、もう桜が散っていたので驚きました。
韓国人の人は、日本名での死やったから、反対されたんやろね。
今でも日本の占領下にあった国からの反発はあるけど、いつまで戦後補償を言うんやろな。
戦争を全く知らない私達こそ、そういう場所をキチンと覚えるべきかもしれません。
特攻隊を見送る女性達は、どんなに苦しい思いで送り出したのでしょう。
思うだけでも苦しくなってきます。
そうなると、自分が一番愛する人達が死ぬかもわからんので、みんなその人達のことを思って飛び立ったと親父は思います。
秋田からだと凄く遠いですが、もし九州へ来られることがあったら、訪問・参拝してください。
家族の気持ちは・・悲しい事実です。
伊勢神宮・善光寺・沖縄・知覧、他にもあるけど、この4箇所は外せないです。
親父としては比叡山も行って欲しいなぁ。
広島は戦艦大和、原爆資料館が有名ですけど、みなさんにお伝えしたい場所がもう1か所あります。江田島の術科学校です。
大和ミュージアムよりも、胸をうつ場所です。若くして日本のためと旅立って逝かれた方々の、数々の遺品が残されています。
親父様が外せない場所にあげておられる場所に術科学校も含まれることと思います。
是非、術科学校にも足を運んでみて下さい。
今でも海上自衛隊の中心やなぁ。
海の特攻海龍は江田島やったんとちがうかなぁ。大分にも回天の基地がありました。
秋に仕事に出る前の早朝に平和記念公園に行きました。
お年寄りがお参りされていた横のベンチで若者達が缶ビールを飲み大騒ぎしていました。
腹立たしかったです。
納沙布岬(根室)の「四島の架け橋」,
稚内公園の「氷雪の門」「九人の乙女の碑」あたりも? (これらはすべて巡礼済みです)
本当はロシアの旧収容所に点在する「慰霊碑」(日本人遺族が建立)も巡礼したいところですけど,これは相当に骨が折れそうです。ま,抑留者が味わった塗炭の苦しみのことを思えば,たいした苦労ではないんですが。
私は『異国の丘』が涙が湧いてきて,うまく歌えません。そして,『岸壁の母』こそ日本で最もすばらしい歌だと思いますし,後世にまで歌い継ぐべきものだと思っています。
「9月2日」以降も継続した(というよりそこから本格化した)シベリア抑留に関しては,正当化しうる法的根拠はありません。とくに「非戦闘員」(民間人)の場合は。叔父の場合は「半農半兵」の「満蒙開拓義勇青年団」ですから,軍属でさえない民間人ですからね。