「凡そ物には中心を欠くべからず。猶も恰も太陽が中心
にして光線を八方に放つが如し、鉄道もまた光線の如く
四通八達せざるべからず。
而して我国鉄道の中心は本日開業する此の停車場に外な
らず、唯それを東面には未だ延長せざるも此は即ち将来の
事業なりとす。」
大正3年12月18日、東京駅の開業式で首相の大隈重信が
述べた祝辞である。
「将来事業」とされた「東面」、千葉方面のことである。
これから半世紀以上経った昭和47年(1972)12月にやっと、
隅田川の底を通るトンネルによって、それまで両国駅が起点
だった総武本線が、東京駅の地下5階に乗り入れた。
(10/9朝日新聞「歴史のダイヤグラム」原武史より)
それまで関東の県庁所在地として、唯一東京駅から直結し
ないのが千葉県だった。東京に隣接する県として、我が埼玉
とは「田舎」ライバルである千葉県。イジメる口実が出来た。
そして、原武史は続ける。
「ヤマトタケルは東征にあたって東京湾を渡って上総(現
千葉県)に着いたため武蔵(東京埼玉など)を経由しなかった。
少なくとも古代では、現在の東京都よりも千葉県の方が都と
繋がっていたわけだ。」(ありゃ、ヤバイ)
「だが明治以降の東京を中心とする鉄道網の発達は千葉県
をそこから外れて半ば孤立した『半島』にした。」(ヨシ!)
でもライバルのために言っておこう。半島の先端まで館山
自動車道が延び、内房線、外房線なども走るが、久留里線、
いすみ鉄道、小湊線など超ローカル線と起伏に富んだ台地が
織りなす「愛すべき」房総半島である。
その房総半島をこよなく愛する友人の写真を紹介しよう。
大の乗り鉄、撮り鉄ちゃんである。