じんべえ時悠帖Ⅱ

「ら抜きことば」に市民権

 久々に新聞土曜版のコラム、国語辞典編纂者飯間浩明氏

の「街のB級言葉図鑑」から。

 見れる、来れる、食べれるなど、所謂「ら抜きことば」

が増えて来たと嘆く声がある。今に始まったことではなく、

戦後に批判が強まった。

 しかし、明治の後半、永井荷風の小説にも「来れる」の

会話が書かれていて、昭和の文学にも「ら抜きことば」が

多く「見られる」。各地の方言にも多い。

 そして何よりも日常の会話の中では当たり前になって、

広告文にも出て来るのが現状で「定着」したと言える。

 今後、「来られる」は文章体、「来れる」は会話体と

分かれて行くだろう。

 

 これを読んで、自分も何気なく口に出ることがあっても

一安心である。と言うよりも、大勢が喋るのが「国語」と

なっていく、という言語学者の言う通りと思う。

 

 さて、しばらく旅の写真が続いたので、地元江戸川など

4,5日前の散歩風景を。

朝焼けの上明けの明星が輝く

 流山橋は夜明け前から大型トラックで混み合う。今朝は

雲が厚く地平からの日の出は望めない。

流山橋の下から二十夜の月と街灯の光り合いを見上げる

 これが富士山の方角だが今日は無理だろう。しかし肉眼

では見えなかったが写真には写っていた。

やっと雲の上に日の出

富士がはっきりとして来る

朝日の上、鱗雲と筋雲がラップ

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
言葉が時代と共に変わっていくのは仕方ない、と言うよりも必然的なことですね。
格安で行く九州の旅、お楽しみ下さい。
ykoma1949
確かに、日本のことば・・特に中学生あたりから
高校生までが一番乱れていると思われる・・しかし
大学生や社会人になった途端に国語を喋りだす
私も来週から大分の孫たちと一週間くらい一緒の
生活をしますが、暫くはお互いに言葉の壁が存在
そのうちに、理解し合う・・若者言葉と方言が
九州と信州ではまだ馴染まない・・
ら抜き言葉は・・仕方ないですね
朝の写真の風景は・・素晴らしいですね
こんな朝を私も歩いているので、なんとなく
親近感を覚えます、でも朝からこの車・・さすがは
大都会・・私の写真には車は写りません。
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