じんべえ時悠帖Ⅱ

彩の国、秋の風物詩

 朝刊の地方版に、引き続くコロナ禍で苦労しながらも催行された、

埼玉県北西部、寄居町と秩父市の秋の風物詩、「寄居北条祭り」と

秩父市吉田地区の「龍勢祭り」が紹介される。

 ここでは、十年ちょっと前に荒川を源流まで歩いた時に通過した

寄居町の鉢形城にまつわる寄居北条祭りを紹介しよう。

 秀吉の小田原北条攻めの際、秀吉軍前田利家らの5万の軍に対し、

わずか3千の兵で3ヶ月持ちこたえた北条氏邦の鉢形城は、荒川と

支流深沢川の断崖を自然の要塞とする堅城である。

 東京湾の河口から荒川を遡った6日目、玉淀駅から荒川の正喜橋を

渡り、鉢形城の断崖や河原を眺めながら荒川を挟んだ大砲の撃ち合い、

河原での合戦に思いを馳せた。

 「寄居北条祭り」のクライマックスが、小学生から80歳のお年寄り

まで約300人の町民が敵味方に分かれて河原でする合戦である。例年は

5月に行われるが、コロナ禍で今年は10月の昨日行われたという。

 

東武東上線玉淀駅手前の鉄橋(写真は2010年10月)

荒川を渡る正喜橋からの荒川上流、左手が鉢形城の断崖

鉢形城址には土塁(曲輪)跡しか残らない

 次回は、後年訪れた「鉢形城博物館」を紹介しよう。


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
古文は難しいので苦手ですが「我行かん」という場合は自分の意志ですよね。
「行かなむ」→「行かん」(未然形)だとしたら、「尽くさなむ」も
「尽くさん」(未然形、意志)となるような気がしますが、ご教示下さい。
jinbei1947
ワイコマ様
そうですね、特に比企氏(比企郡、比企町も)が有名になりましたが、
この比企氏一族と同時代の児玉氏(武蔵七党の一つ、児玉党)の流れを
汲むのが児玉家(かも知れないという程度)。
もっとも両親が家系継続のため養子に入ったので血の繋がりはありません。
eme
顕彰碑のお目開けのお祓いを頼まれました。碑文に、「吾世の為に尽くさなむ」とありましたが、これ、文法の誤りの例としてよく試験に出る問題ですよね。[行かなむ]と[行きなむ]など。[なむ]が付く動詞が未然形と連用形の違いで、他人にたくすのと自分の意思によるものとの違いになる。昔間違えたので覚えています。石に刻んでしまってあるので、黙って居た方が良いのかな。
ykoma1949
今、国営放送の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が佳境を迎えて
昨夜はこれまでのシーンを振り返り、その舞台裏を放送しこれ
から最終回に向けての番組の宣伝をしていました。その毎回の
放送終了後必ず番組に出てきた場所の現代を放送して解説。
今回の鎌倉幕府のその深淵部分をいろんな角度から知らされて
大変勉強になりました。江戸の安定期に入る前の、武士世界が
形成される過程を・・関東の歴史として 彩の国も大きな役割
を果たしてきたのが、よ~くわかります。
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