下関国際の坂原監督は、ベンチ前に並ぶ選手一人ひとりに
声をかけながら肩に手を置いて労を労った。
仙台育英の須江監督は優勝インタビューで、「密な」青春を
コロナに翻弄されながらも諦めず、必死に頑張って来た全国の
高校球児に拍手を送って下さいと、声を詰まらせて語った。
宮城大会準決勝は、コロナ感染者が出た仙台南校が辞退して
闘わずに決勝進出した。須江監督は、仙台南のチームカラーで
あるオレンジ色の時計を着けて甲子園のベンチに入った。
スタンドの吹奏楽班は、準決勝で破った聖光学院の持ち曲を
急遽練習して、決勝戦で高らかに演奏した。
深紅の大優勝旗が、高校野球史上初めて「白河の関」を越え、
東北の地に入る。東北勢6校中5校が一回戦を突破した。底力
がついて来たということだろう。
「宮城、東北の皆さん、おめでとうございます」(須江監督)
仙台育英の初優勝を祝って三日ぶりの日の出