昨日の15年目の「JR福知山線脱線事故」の追悼慰霊式、
やはり新型コロナの影響で「密集」しないように、遺族や
負傷者らが時間をずらせて訪れたという。
この事故を取り上げた、元神戸新聞記者、松本創が書いた
「軌道」の紹介の続きである。
遺族会「4.25ネットワーク」の世話人、淺野弥三一は、
妻と妹を亡くし娘も瀕死の重傷。その妻、陽子の通夜の日、
黒い礼服姿の数人の男たちに声を掛けられた。JR西日本
の南谷会長とその取り巻きたちである。
通り一遍のお詫びとお悔やみの言葉を口にした南谷会長
が、その後に言った「今後の補償のこともありますし」。
これに淺野弥三一は激怒した。普通の感情を持った人間は、
通夜の席で早々に補償の話は持ち出さない。
こんな人間がトップにいる組織に女房は殺されたのか、
あまりに不条理だ。そしてこの事故を不条理と捉え、何故
そんなことが起こったのか考えるようになる。
通夜の日、補償の言葉を聞いた途端に浅野は、「あんた、
今何を言うた!もういっぺん言うてみい」と怒り、そして
「帰れ」と叫んだのである。
平身低頭し凍りつく南谷会長一行に踵を返しながら、
淺野は言った。「これから事故に関する資料をいろいろ
要求することになるから用意しておけよ」と。
淺野弥三一(ヤサカズ)は神戸大学大学院の建築学専攻
である。教授から頼まれ大手不動産会社に就職するが、
マンション開発の仕事に興味が持てず、設立間もない
都市計画コンサルティング事務所に入り直す。
間もなく独立し、尼崎に「地域環境計画研究所」を
設立。その理念は、
1.地域の自然や歴史や文化を大切にする
2.行政と住民の間に立って橋渡しをする
3.住民が地域に関わる仕組みをつくる
そして、この仕事を通じて「闘うコンサルタント」と
呼ばれるようになる。武器は「交渉力」とも。
JR西日本は、実に大変な人物である遺族を敵に回して
しまった訳である。 (続く)
さて、流山市側の橋台工事を見物しながらのウォーキング。
道路沿いに掲示された現場進捗状況は「3Dグラフィック」。
これも時代である。
流山消防本部の前で、野田方面へ向かう流山街道を横切り、
橋への取り付け道路が出来る坂道を上る。以前の道の真ん中
で橋台の杭工事が盛んに行われている。
この階段を上ればフェンスの中の工事の様子が見えるだろう。
坂道をほゞ登り切ったところ、このあたりから橋へ向かう
高架道路となるようだ。その足下両側が側道となる。
工事見物を終わり、おにぎりの昼食をとる予定の花輪城址へ
向かう途中、住宅街にフジが綺麗に咲く。
このお宅、出身会社の住宅だが綺麗にお住まいである。
しかし、その門柱に括りつけられた看板には「ゼンソク
大道路 反対」の文字。確かに新しい橋によって、千葉県
から埼玉の越谷レイクタウン、新三郷ら・ら・ぽーとなど
へ向かう車が一気に増えるかもしれない。
普通車150円と予想される「有料橋」に、どう反応が出るかは、
まだ3年後である。
次回は「チェアリング」を兼ねた昼食、帰路の様子。