福島、栃木との県境に聳える茨城県最高峰(1022m)の
八溝(ヤミゾ)山の頂から下山しながら、板東三十三観音の
「三十三山目の二十一番」日輪寺(八溝観音)に向かう。
登って来た昭和56年完成の八溝山林道とは別の舗装道は
新しくてより急勾配である。ゆっくりと慎重に下り始めると
間もなく、山頂にある八溝嶺神社への旧参道を横切る。
八溝名水群を辿り、最後は山頂への直登となる丸太階段の
道は一見なだらか(でもないか)だが、舗装道に比べ膝への
負担が大きいのでパスしたルート。
1キロほどで日輪寺への下り道が分岐する。幅は広く、
コンクリートの薄舗装だが、何と言っても急勾配。
落葉で滑らないよう慎重に歩を運ぶ。
足元が疎かになるのを気にしながら頭上の紅葉を楽しみ
ながら下るうち、日輪寺の東屋が見えて来る。
左下は駐車場へ向かう車道だろう。
まずは、八溝観音像がお出迎え。そして本堂、Oh no!
これはないだろう。再三の火災の後、昭和48年再建という
鉄筋コンクリート製。もう少し何とかならなかった?
草創は天武天皇の時代の役(エンノ)行者で、弘法大師が
十一面観音を刻んだという古刹らしく、自然と同化するが
如き石像や石仏が本堂周辺に散在する。
石段を下りた駐車場から徒歩用の下り道と思って入った道は、
朽ちたバンガローやバーベキュー小屋、トイレに出るだけ。
途方に暮れていると、叢の中からスティックを持った
トレッキング姿の中年のカップルが出て来る。下り道を
尋ねるべく話しかけると、名水を辿る道から分岐してここに
出てきたと言い、すぐ先に分岐があって下り道もあるとの
ありがたい情報。
地元(大子町)の夫婦で、このあたりを歩くのは初めてだが、
バンガロー(山の家)が閉鎖となったことは知っていたという。
トレッキングの話などをした後、丁寧にお礼を言ってから、
彼らが出て来た頼りない草道を下る。やがて丸太階段の山道
となり、分岐点の道標で狙った道であることを確信する。
八溝山線林道が往きに昇って来た舗装道、蛇穴のバス停に
出る道である。
ホッとしたのも束の間、大嫌いな丸太桟の階段状の道。
土が抉れて障害物競争のようになったり、急になると一段が
30~40センチにもなる。着地した膝が悲鳴を上げるシンドイ
下りである。
距離で600mの急坂(急段)を30分かけて慎重に降りると
小さな流れから渓流となる沢に出る。台風や大雨のためか、
倒木だらけの荒れた風景。
一瞬、この先に進めないとしたら戻らざるを得ず、ご夫婦
のトレッカーが辿った名水ルートを探さなくてはいけない。
そして万一バスに遅れれば里まで歩くハメに・・・が頭を過る。
やがて暗闇(日陰)に目が慣れると小さな渡り橋が見え
ホッとする。しかし、その先はずいぶんと頼りない道だ。
沢に沿って林道まで上る道は延々と続くが、地図上では
わずか500m。丸太十段で一息入れ、最後は五段で一息入れて
上り続ける。脇は沢への絶壁でふらつけば落ちるかも。
ここも30分かかってやっと林道に着く。あとは舗装道の
林道を4キロ半下るだけ。往きにも見た標識を見て、ああ、
最後の日輪寺制覇、と感慨に浸る。
まだ3時前、5時のバスには余裕綽々だが、綽々過ぎる。
ほとんど斜行してのんびりと急坂を下り続ける。
歩いていた人類は、下り道を教えてくれたご夫婦以外は、
往きに早々と下山して来た中年の婦人。登山口にポツンと
置いてあった軽自動車の持ち主かも知れない。暗いうちから
登り、日の出を観に行って降りて来たのかも知れない。
あとは、やはり往きの登りで追い抜いて行った自転車の若者。
互いに「お疲れ!」と挨拶を交わした。充分なエールである。
おっと、もう一人いた。軽トラを道端に停めチェーンソーを
鳴らしていた同年輩の老人だ。ちょうど一服で道端に座り、
トボトボと登る私に「残りはもう半分も無いよ」と励まして
くれた。すぐ先に「5.2Km」の標識があった。
どんなにゆっくり下っても1時間を残して登山口に着く。
ここで一服し、カップ酒でも呑みたいところだが、何と駅の
横にあったコンビニ(ヤマザキショップ)には酒もタバコも
置いてなかったのだ。
紅葉などを眺めながら所在なくバスを待つ。山間(ヤマアイ)の
蛇穴の集落は夕暮れとなる。
街に下りる「最終」バスは最初から最後まで貸切状態。
信号で止まることも少なく40分走りっぱなしで、あたりは
真っ暗になった常陸大子駅に着く。
おお、蒸気機関車C12のイルミネーションが結願祝い
である。
翌日の帰路などは次回。