じんべえ時悠帖Ⅱ

例幣使街道、玉村宿

 倉賀野追分をスタートした日光例幣使街道(県道136号)は一路東へ

向かう。高崎線(+八高線)の踏切、国道17号を渡って進むと下りに

なる。「下りの先は川」の通り粕川を渡る白銀橋となる。

 

 次の県道13号を渡るとその先は量子応用研究所となり行き止まり。

渡って直ぐの道端に道標二つ。右は掠れて読めないが、左には「北

まへはし三里」などが読める。

 例幣使街道は広大な量子応用研究所に寸断されているので、渡った

県道13号を北に向かいその後で再び東に向かう県道142号で迂回する。

県道13号から見る赤城連山。右端は榛名山だろう。

 県道142号で東に向かい始めると間もなく左手の小山の上に不動尊。

不動山古墳という長さ100m近い古墳の上の不動堂である。お堂の裏に

舟形石棺があるというのでパスせずに石段を上る。

 お堂前で一服休憩してから東へ向かうと井野川を渡る。昔の街道は

南へ150mくらいのところの鎌倉橋で渡っていたという。橋脚の一部

が残ると言うがズームしてもよくわからない。逆の上流側にシラサギ

が舞い降りる。ズームすると頭に黒い線、アオサギのようである。

 関越道を潜ってから1キロちょっとで玉村宿のはじまりである。

井田酒造の泉屋酒店は「上の問屋」跡。その脇が玉村八幡宮、社殿は

鳥居の奥の隋神門の更に奥のようだが、「戌年亥年の守り神」という

ので参拝することにする。

 手水所裏に芭蕉の句碑「屋寿〱(やすやす)と出てさまよう月の雲」。

 この先の玉村宿の本陣などを探訪するが、その様子は次回。

 

 

 

 

 

 

 

 


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