大統領に返り咲いたトランプが攻撃的な閣僚人事を進めているが、
上下院とも共和党が過半数となることも確実で「トリプル・レッド」
による「やりたい放題」が予想される。
思えば我が国も保守派を忖度する自民党政権の「やりたい放題」が
最近まで続いていた。トランプ大統領の就任が日本にとって蒙古来襲
ならぬ「猛虎来襲」となるか。に関係なく、日光例幣使街道ウォークの
続きである。
玉村八幡宮を出て玉村五丁目バス停近くという「下の問屋(トイヤ)」の
加賀美家を探すが右往左往しても判らない。ひょっとしたらここかな
と思った家が「結果的」に当たっていた。
本陣跡の木島家も判らないので交差点近くの小さな不動産屋さんに
飛び込んで訊く。ご主人はここの生まれだが宿場とか街道には造詣なし
という。ただ加賀美さんならあの家、前は郵便局だったと指さす。
宿の斡旋や荷物、文書類の取継をした問屋は明治になって郵便局に
なったところが多い。本陣については近くの緒方時計屋さんが知って
いるかもしれないと紹介してくれる。
この玉村では一軒だけという緒方時計店の奥さんは実に親切。一旦
中に戻り上着を着て木島家まで案内してくれる。グルっと回って店の
ほゞ真裏というあたり、ひっそりとした平屋の住宅に「木島」の表札が
かかる。
隣の覆い屋根の下に、幕末の例幣使参議、綾小路有長の歌碑が立つ。
「玉むらのやとりにひらくたまくしけ ふたたひきそのかへさやらすに」
帰りは東海道経由だった例幣使が多いが、有長は帰りも中山道経由だった。
裏通りをそのまま進むと道がクランクする。これは宿場に多い
「桝形」だろう。ひょっとするとこの裏通りが街道だったも。
県道142号に戻り先に進む。両側に物流団地が4キロほど続く直線は
暑さも加わって地獄の一時間となる。高齢者施設のところで例幣使街道
は142号から旧道へと入って行く。木陰で久々の休憩とする。
一気に細くなった旧街道が数百メートルで少し右に曲がるところ
からが五料宿というが面影はなし。すぐ先が利根川だから川留め用の
宿場だったのだろう。間もなく142号に戻る角が常楽寺。
門前には石塔や石仏が多数並ぶ、中でも庚申塔が見事である。
本堂前の常夜燈?も珍しい形。
常楽寺前から真っすぐ伸びる道が、浅間山噴火で利根川の泥流が
押し寄せる前の例幣使街道。左がその後の街道の県道142号。右に
行けば例幣使街道で唯一と言う関所跡に出られたようだが、標識の
矢印の意味が理解できなかった。
利根川を渡る五料橋への坂道を上る。続きは次回。