埼玉では劇団員のクラスター感染が発生、他都県在住者
を含め62人の陽性が報じられる。ひめゆり学徒隊を題材に
したミュージカル「ひめゆり」の稽古場での感染らしい。
マスクやフェイスシールド着用、消毒などの感染予防は
とっていたというが、大勢が一緒に稽古する「密」の場と
言える。もちろん公演は中止になった。
とは関係なく、再開した中山道ウォークは初日の終盤、
鷹之巣橋を渡ったところである。
橋の南詰から振り返ると、鷹之巣城址がある高台の崖が
広がる。その下の碓氷川の河原に徒(カチ)渡し場があった。
徒渡しは人足が旅人を背負ったり台に乗せて川の浅瀬を
運ぶ渡しである。川の深さと幅で渡し賃が決まったと言う。
旅人の体重は関係なかったのか、と余計なことを考える。
表通りから一本裏、渡し場から上がって来た道が中山道。
約1キロ先の安中駅へ向かうと道端に古い道標が立つ。
「従是一宮道大日街道」は、上野(コウズケ)一宮、富岡市
にある貫前(ヌキサキ)神社への道の分岐点である。
貫前神社は埼玉大宮にある武蔵一宮、氷川神社と同様、
浅間山の噴煙と夏至の陽が沈む線上に位置する。
後方に見える電柱のあたりに中宿一里塚があったと
いうが、いつの頃からか無くなったという。明治九年の
一里塚廃棄令の後も残っていたらしい。
この先で中山道は再び碓氷川に突き当たる。上がった
土手道の下に徒渡し場があった。
土手を降りて安中駅に向かう角の「三面六臂」の石塔は
寒念仏塔。寒念仏は小寒から立春の三十日間、つまり冬の
一番寒い時、山野で鉦を叩きながら念仏を唱える行である。
碓氷川を渡る久芳(ヒサヨシ)橋の上、これからしばらくは
見続けるであろう妙義山系が高く聳える。
4時少し前、久芳橋の下を潜り安中駅に着く。駅前に
店はなく、少し離れたコンビニまで歩いて缶ビールで
とりあえずの打ち上げ。
山肌には東邦亜鉛の安中工場が広がる。カドミウムの
汚染で、農作物、蚕、魚などに大きな被害を出した安中
公害訴訟は、戦前から始まって四十年でやっと和解した。
最初は住民側に理解を示したという地元の中曽根康弘と
福田赳夫は、社会党、共産党が出て来ると知らぬ存ぜぬと
なったという。
一時間に一本の信越線で高崎に戻り、駅ビルで早めの
夕食をとってから、東口右手の「HOTEL」に入る。
元々安い上「GO TO」で35%引き、おまけに千円分の
買い物クーポンが付く。ありゃ、先にチェックインして
おくべきだった。
次回は安中宿。