じんべえ時悠帖Ⅱ

「悉皆」は「しっかり」の語源

 今朝の新聞土曜版「街のB級言葉図鑑」(飯間浩明)は

「悉皆」。悉く、皆、よって「みんな全部」の意で読みは

シッカイ。今ではほとんど死語ではないだろうか。

 「悉皆成仏」など元は仏教用語というが、飯沼氏は街の

きもの屋さんの暖簾で見かけたようだ。その暖簾には、

「染み抜き、丸洗い、着物のことなら何でもご相談」と

書かれる。

 ネットで検索すると、やはりきもの屋さんのHPが出て

来る。それによると、

 加賀友禅は三十八もの工程があり、それぞれの職人さん

を回って、最後に問屋さんに届けるのが「悉皆屋さん」と

言われた。

 イメージやデザインの相談にも乗り、各工程の品質確認

もして問屋さんに届ける、プロデューサー、ディレクター、

営業マン、そして芸術家であるのが「悉皆屋さん」。

 よって、金沢では悉皆屋さんは「しっかりやさん」とも

呼ばれ、「しっかり」の語源とも言う・・・

ということらしい。

 「悉皆」は、明治時代には「すっかり」「みんな」とも

読まれ日常語だったという。

 嗚呼、明治は遠くなりにけり。

 

散歩から


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
大型スーパーの専門店街にあった和装小物屋さん、その大型スーパー自体が
撤退してしまい、百貨店嫌いの奥方が難儀しています。
隣町にあることはありますが、地主の娘の店で「お高く」とまっているので、
遠くまで出かけています。
jinbei1947
ワイコマ様
大正元年が1912年ですから明治生まれと言うと百八歳以上ですね。
それが二千六百人とは・・・、百歳以上はもう何万でしょうね。
えめ
[悉皆屋]は母や祖母たちの会話の中に聞き覚えがあります。しかし、意味は判りませんでした。和の文化の衰えは凄まじいです。茶の湯の先生も、今生き残っておられる方だけになりました。新しく弟子入りする人間は居ません。諏訪に大勢いた芸者衆は、ゼロになりました。昔栄えていた呉服屋の店は、殆ど無くなりました。
ykoma1949
気になったので、明治生まれの人はどのくらい?
昨年で推定2600人とか・・毎日少しずつ減少して
そのうち最後の明治生まれの方が・・なんて報道
そう遠くはないでしょう。
悉皆屋さん・・私は大阪のお客様のところで
聞いたと思いますが、記憶が定かではありません
たぶん、悉皆屋さん=しっかり者と聞いてなるほど
と大昔のことで、大坂の陶器屋さん信州の塩尻出身
確定申告や、法人の事を・・田舎の会計事務所に
信州弁でたまに話しが出来ると大変可愛がって
もらい、いろんな事を教わりました。
そんな懐かしい思い出に悉皆屋さんの言葉が
教えて、ちょっぴり感傷に浸っています。
悉皆。ありがとうございました。
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