信州・蓼科山の頂上近くから湧き出す水を採氷池で凍らせて
1月下旬に切り出す。それを日本刀で切り付け、グラスの内側
に沿ったカーブにすると氷が消える。
岸久(キシヒサシ、58歳)が2000年に銀座一丁目に開業したバーの
カウンターで造る「忍者アイス」である。31歳で創作カクテルの
世界一に日本人で初めてなった。43歳で「日本の名工」に。
今春「オーセンティックバー」が日本標準産業分類に入った。
日本バーテンダー協会の会長を6年務めた岸の功績である。日本
のオーセンティックバーは今、インバウンド客で賑わう。
(4/13朝日土曜版「フロントランナー」より)
日光御成街道ウォーク5日目の後半である。中間点の上野田の
交差点から1キロ半、徳川将軍たちが休憩したという光徳寺の先、
膝子一里塚(東塚)跡に着く。前の一里塚が場所も名前もわからな
かったこともあり、ここはハッキリしていて気分がいい?
2キロほど前から左手に見沼代用水路(東縁)が近づいていたが、
膝子交差点手前ですぐ脇を流れるようになる。交差点の先の筆塚は
江戸時代の絵師、森田久蔵の絵筆が収められているという。
時折小雨が上がるが再びポツポツと降り出す。見沼代用水路の
対岸に埼玉記念病院が見える先で、御成街道は右手の旧道となる。
このあたり地名は東宮下。宮とは武蔵一宮の氷川神社のことか。
右手へ坂を上った宮下八幡宮に寄り道。境内の大きな桜が見事。
街道に戻り1キロほど緩い坂を上り、と再び右へと分岐して行く
ところに「宮ヶ塔の道標」が立つ。小さな道標の文字も脇の口碑の
説明も掠れて読めないが、近くに現代の道標が立つ。
やはり西へ5キロ半に氷川神社、見沼代用水路からはもう600㍍も
離れたこと、この先に綾瀬川があることがわかる。
綾瀬川を渡り、いよいよ岩槻宿に入る続きは次回。