三十数年前、初めて「森林浴」という言葉を使った、
当時の林野庁長官、秋山智英氏のことを先日書いた。
私より一回り上、同じ信州生まれの大先輩の著書を地元の
図書館に探すと一冊だけあった。(1990年発行)
信州に生まれ、幼いころから郷里の山や川に親しみ、特に
森の美しさに魅せられた秋山氏は、東大農学部林学科を卒業
すると農林省に入省。主に技術・行政畑を歩んだ。
群馬県沼田営林署長時代の昭和35年、隣接する足尾荒廃地
を視察することになる。
中禅寺湖畔から半月山に登り、上から眺めた足尾国有林は、
隣の日光国有林とは全く逆の、むき出しの岩肌、赤茶けた土、
一木一草もない丸坊主の山並みが続いた。
九蔵沢上流の崩壊した山肌
少し前の昭和31年に、足尾銅山では自焙製錬法が導入され、
それまで周囲の自然を破壊してきた、亜硫酸ガスの煙害の源が
たち切られ、荒廃した山の森の復興作業がスタートした。
二十八年後、北海道営林局長、林野庁長官、森林開発公団
理事長などを歴任した秋山智英は、再びこの地を視察し面白い
風景を見た。足尾砂防ダムである。
濁った水の流れは松木沢から、青く澄んだ流れは九蔵沢から
だった。この九蔵沢、昭和31年に自焙製錬法が導入された以降、
治山技術者が一丸となって復旧工事に取り組んだ沢だった。
緑が復活した同じ九蔵沢上流
「荒廃した山肌の森を見事に蘇らせた苦闘の歴史を、一度
荒廃した森を復元するには資金と労働力、気の遠くなるほど
の歳月がかかることを是非記録にまとめて欲しい」。
この時の視察団の一員からこう懇願された秋山智英が、
2年後に著したのがこの本である。
この「森よ、よみがえれ」は、若い人たちにこそ読んで
ほしいと平易な文章で書かれている。写真集のような大判の
体裁でカラー写真のページが多く、本文中にも写真や図表など
が多い。やはり技術屋さんの本である。
ずいぶん前になるが、この足尾銅山跡を訪れたスナップなどと
併せ、次回もう少しこの本を紹介しよう。