昨日の「はじまりのみち」の紹介は、製糸踏切の近くで
操業を続ける碓氷製糸の話になったが、本題は今日の話で
ある。
幕末の開国によって海外との貿易が始まり、海外の生糸
需要が拡大すると読んだのは、手作業(座繰り器)製糸の
伝統を持つ前橋藩であった。
スイス人技師を雇いイタリア式の器械で高品質の生糸の
生産を始めた。この藩営の「前橋製糸所」で新式の繰糸機
を受け持った六人の女性はいずれも藩士の娘たち。
しかし、操業を始めた翌年の廃藩置県で前橋製糸所は
政商の手に渡り、明治の後半には跡形もなくなった。
富岡製糸場は、2年早く創業したこの「前橋製糸所」を
モデルにしたという。もし残っていれば、富岡製糸場と
共に世界遺産となっただろう。
ここで働いた藩士の娘の一人である「深沢孝」は回顧録
で、「(富岡に比べて)不遇に葬られた」という。
この幻の世界遺産である前橋製糸所を復権する手掛かり
は僅かである。
前橋製糸所の建設に奔走し、全国各地の伝修生を育成し
技術を広め、富岡製糸場の第三代所長となった、前橋藩士
「速水堅曹」の文献は、次男の子孫がまとめた。
また、前橋製糸所からわずか十八歳で熊本県養蚕試験所
に派遣され、指導、育成した百人の女工を引き連れて製糸
事業を発展させた「大野浪(ナミ)」の足跡は、今、嫁ぎ先
の子孫が調べつつある。
前橋市岩神町二丁目、風呂川の畔。創業三か月目に移転
した先に記念碑が立つと言う。機会があったら訪ねよう。
明治11年、明治天皇行幸の折に献上された写真(朝日新聞「はじまりのみち」より)
今日も画像処理の折にパソコンが固まり1時間半の
ロスとなった。十年を過ぎ、いよいよ更新時かも。