じんべえ時悠帖Ⅱ

「製糸踏切」の思い出

 新聞の別刷土曜版で最初に読むのが真ん中の見開き頁の

「はじまりのみち」。今朝は長い自動繰糸機が並ぶ工場の

大きな写真。てっきり富岡製糸場だと思いきや。安中市の

「碓氷製糸」と説明される。

 十月に安中から松井田へ中山道歩いた時、「製糸踏切」

を渡った。「昔(ひょっとして今も?)碓氷製糸があった」

と歩行記に書いた。その「ひょっとして」だった。

 

 ここから南へ約500メートルのところに、今も操業して

いる全国で四つという製糸工場の一つ、「碓氷製糸」が

あったのだ。

 この碓氷製糸には11の県から繭が集まり、上品な光沢の

シルク製品の素材になる。全国の六割を生産するという。

 この碓氷製糸の自動繰糸機の型式名は「ニッサンHR」、

あの日産自動車が開発したもの。明治初期に導入した洋式

機械の改良を重ね、戦後に技術力は頂点を迎える。

 昭和34年(1959)には、国内に1,871もの製糸工場が

あったが、前述の通り今では長野、山形、群馬にわずか

4工場となった。

 しかし「はじまりのみち」の本題はこれではない。

明日それを紹介しよう。

 

 今朝の明け方は5℃、やがて小雨も降り出し寒い日に

なりそうだ。好天の昨日の午後の散歩から。

 江戸川の土手から北西方向、雲かと思ったが目一杯

ズームすると、これはどう見ても赤城連山だ。

 160キロの富士山が見えるから、100キロの赤城山が

見えても不思議はないが、この方向は富士山の方向と

同じでいつも雲が多い。なにか拾い物をした感じ。

 

 

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
操業中の碓氷製糸は行くことが出来ますが、今日(6日)は幻の「前橋製糸所」の紹介です。

国の研究所が開発した遺伝子操作の「蛍光繭」は群馬のどこかで育成、製糸されていますが、どこかは不明です。
jinbei1947
えめらるど様
坂城町の父の実家は戦後も十年ほど養蚕農家を続けていました。
木造三階建ての大きな家も主はお蚕様、疎開して来た四家族もの人間たちは北向きのうす暗い小さな部屋で暮らしていました。
我が家族は四年で脱出しました。
ykoma1949
碓氷製糸・・今でも操業されているのですか
日本の産業の空洞化が問題視されて・・今回
マスクや防御服などいろんな産業が日本から
消えゆく中で・・その産業を維持している会社
は国が何らかの方法で維持しないと・・
碓氷製糸・・少々興味深くなりました。
eme
小学校の頃、辰野の家の近くにあった大製糸工場は、芝浦タービンとかいう名の軍需工場に変わりました。製糸の時代には肺病が流行り、寮で工女が死ぬと荷物を工場の裏地で燃やしている情景がありました。付近の農家では軒並み蚕を飼って居ましたが、今は何処にも蚕は居ません。しかし、蚕玉様のお祭りだけは毎年しています。神主の私は、[産業の発展を祈る祭り]という内容に置き換えて居ます。
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