朝方、2年8ヶ月続けたYahooブログをクローズした。
今後は、このgooブログでお世話になる。
今日は甲子園の決勝戦。思えば履正社も星稜も、大会前
の下馬評で優勝候補の筆頭だったから、順当な勝ち上がり
と言える。投打とも互角、好試合を期待しよう。
昨日、見沼代用水路通船堀の閘門開閉実演を見て来た。
江戸時代、八代将軍吉宗が増大する江戸の胃袋を満たすため
「見沼たんぼ」を開墾する為に造ったのが見沼代用水路である。
行田市の利根川から取水し、約30キロ流れた後蓮田市で分岐。
さいたま市、川口市にまたがる広大な見沼たんぼの両端(東縁、
西縁)を流れる。真ん中には悪(排)水路として芝川を通した。
荒川や隅田川を経由して江戸の中心まで流れる芝川と、東縁、
西縁の流れには約3メートルの高さの差がある。
江戸に米や農作物を、帰りは織物や生活用品を運ぶ平船を通す
ため掘られた通船堀には二段の堰(閘門)が設けられ、いわば
パナマ運河の原理でこの高さの差を克服する訳である。
パナマ運河の原理と書いたが、実はこの通船堀の方が早い。
当時の土木、大工技術も凄いものだ。
年に一回、この通船作業を復活さのが閘門開閉実演会。
天候や改修の関係で五年ぶりの復活である。よって、見学者
も予想以上で開演10分前に着いたが既に通船堀は人、人、人。
一の関の「角落し」(閉門)が始まっても、2列目ではいい
見学ポイントがない。やっと見つけたのがかなり離れた二ノ関
の脇の橋の上。わずかな隙間から望遠で捉える。
6寸(18センチ)幅の板を8枚「落とし」て、約1.4mの
高さになる。二ノ関と併せて約3mとなる訳である。
平船は当時の2分の1というから、昔は通船堀の幅一杯で
通ったことになる。
芝川側から通船堀を見る。一の関の堰板(角)を外せば、
ここに船が出られるということである。今日はここまでの
実演は無いらしい。
武蔵野線の東浦和駅近く、見沼代用水路西縁を渡る。
この西縁はさいたま市の笹目川近くまで辿れる。東縁は
足立区舎人公園近くで地下に消えて行く。