国語学者、中村明氏の「二刀流」の話を引用する。「二」について
の面白い話である。( )内は私見。
投手としても打者としても活躍する大谷選手を「二刀流」と呼ぶ。
(本来は宮本武蔵のように)両手に刀を持って闘うことが二刀流。
酒も甘味も好物というのも二刀流。二刀流は「両刀遣い」とも言う。
詩人で小説家、歌手で俳優など同じ文化・芸能ジャンルでは二刀流
とは言わない。(そうなると同じ野球の投手と打者では二刀流では
なさそうだが・・・)
似た言葉に「二足のわらじ」があるが、両立しないような二つの
立場・職業を兼ねることを言う。本来はバクチ打ちとそれを取締る
岡っ引きなど「本質的に違う正反対のも」の組み合わせを指す。
二刀流や二足のわらじに悪い意味はないが、二股をかける、二の
足を踏む、二の舞い、二番煎じ、二の次・・・など「二」が点く言葉に
悪い意味のものが多い。
これは、目指すなら一番で、ダメなら二番を潔しとしない考え方、
文化が日本にはあるということかも知れない。
(1/31朝日「リレーオピニオン」)
懐古シリーズ「見沼代用水路」の続きは「瓦葺(カワラブキ)分水工」。
利根川の取水堰から33キロ南下した見沼代用水路は、橋田市と上尾市
の境界を流れる綾瀬川を伏越(フセコシ)してすぐ二本に分かれ、広大な
見沼田んぼの東縁(ヘリ)と西縁を流れ出す。
分水工へ向かう脇を宇都宮線が走る
綾瀬川の手前で地下に潜り綾瀬川の底を流れる
潜った先の分水工
大きな樋で綾瀬川の上を越していた昔の絵
次回から東縁を辿る。