ユーカリが丘駅前からカーブしながら北に向かう成田街道は、
葛飾の新宿(ニイジュク)をスタートして以来初めて畑地脇となる。
その後1キロほどで再び東向きになると緩やかな下りとなる。
「下った先には川がある」の通り、手繰(テグリ)川を渡る。
地図を見ると奥に見えるのは臼井西中学校で地名も臼井台。
橋を渡ると国道(296号)から分岐して細い道となる。
川を渡った先は?そう、住宅街の中の上り坂が始まる。それも
かなり急な坂道である。「川を渡り坂を上ると宿場となる」、は
水戸街道に多かった。
最後は胸突き八丁、上り切って住宅街を少し進むと三叉路に
突き当たる。突き当りに立つ道標はどうみても「右成田ミち」。
江戸時代、カタカナ、ひらがな混在はよくあったと聞く。
行き過ぎてから古くはない石柱に気付く。ひょっとしたらお寺
さんか。口碑には雷電顕彰碑とあり「明覚寺に雷電碑あり」とは
ここらしい。
道は急な下りとなり、せっかく上って来たのにと愚痴を言い
つつしばらく下ると墓石の中に大きな石碑が立つ。脇の手形は
原寸大というから私の倍はある。
脇に「雷電終焉の地」の石碑も立つ。雷電為衛門は信州大石村
(現東御市)の生まれだが、ここ佐倉藩臼井の甘酒茶屋の看板娘
おはんを娶り、その郷里で晩年を静かに過ごしたという。
急坂を上り成田街道に戻る。ここから北にある臼井城址からは
印旛沼が眺望できるというが、手持ちの地図の範囲外で距離も道
もわからないのでパス。先へ進むと今度は急な下り。
下り切った突き当りで国道296号線に戻ったあたりで臼井宿が
始まる。少し先の三叉路は「中宿」の交差点。
三叉路を右に曲がると佐倉臼井郵便局。宿場で旅籠の斡旋や
文書や荷持の取り扱いをした「問屋(トイヤ)」跡が郵便局になる
ことが多いがここもそうだったか。通りに宿場の面影はない。
歩道があるだけいいのか、それにしても・・・。
この先で京成本線の降切を渡ってまた三叉路となると臼井宿も
終わりである。
次回は佐倉宿へ。