台湾・花蓮市などを襲った地震で避難所設営のスピーディーさが
ニュースになっている。
地震1時間後 市や支援NGOのグループチャットが立ち上がる
2時間後 避難所に個室テント設置
3時間後 被災者受け入れ開始
4時間後 設備がほゞ整う
このスピーディーさは6年前の地震の教訓だと言う。デジタル大国
台湾ならではなのか。いや、もっと違うところがありそうだ。
日光御成街道ウォーク4日目の最後である。市神社(イチガミシャ)の
小さな祠の前から地蔵院の入口に戻る。山号は箱崎山。山門までの
長い参道は一般道になっているようだ。この道を含む五差路である。
参道入口の石碑の正面には新四国霊場の五十九番札所と刻まれる。
右側面は五差路を北東に向かう越谷道の道標になっている。
新四国八十八ヶ所は現地に行かなくても廻れるようにまず北海道
で始まり、その後全国各地に広がったもの。
100メートルほどの参道を歩き一応山門から本堂に寄ってみる。
広くて長閑な境内である。
五差路から北西へ向かう御成街道は静かな道、前回のような
ファミレスもありそうにないのでコンビニで軽く昼食。やがて
街道の両側に寺社が並ぶのは新井宿。といっても宿は地名だけ。
元禄の前、新井宿村が御成街道を境として東西に分村したため、
それぞれに寺社が設けられたもの。西新井宿村が氷川社と宝蔵寺。
東新井宿が子日神社と多宝院。
首都高川口線を潜り、次の外環へ向かうと御成街道は大きく右へ
膨らむ。すぐ左手の川口ジャンクションを迂回するため?いやいや
時代が違う。「谷戸」(ホト、窪地)を迂回したためらしい。
外環を潜った右手の真乗院による。コウヤマキ、カヤ、スダジイ
の大木は市の指定天然記念物。
お、口碑のマキの実の絵は「牧野新日本植物図鑑」からだ。
境内の隅の石仏の右手前は街道沿いから移された道標という。
その「図面」、これは機械屋か建築屋の手になるはずだ。数字の
単位はミリ(mm)である。いわつき、江戸ほんがう、あさくさなど
の文字がわかるのも好い。技術屋は親切なのである。
この先2キロほどは単調なウォーキング。このあたり戸塚地区は
園芸、育苗、盆栽などの農家が多い。やがて今日最後の街道遺構は
戸塚一里塚跡。小公園を気取ってポケットパークと呼ぶ。
掠れて読めない口碑には「6か所目」の一里塚と書かれている
らしい。6里目ではないのは起点の違いのせいだろう。一里塚は
日本橋基準。実際は江戸城大手門が起点という差がある。
最後の1キロを歩いて武蔵野線東川口駅に着く。約4時間半で
街道筋7キロ、休憩や寄り道が半分くらいである。