三冊目の十年日記、八年目の段も今日限りである。過去
七年の大晦日の出来事を見返すのも面白い。
ワインをうっかり冷凍庫に入れてコルクが破裂した年、
二年参りでもなく紅白の後で2時間も歩いた年、同じく
紅白の後で本を明け方近くまで読んだ年・・・、さて、今年は
どんな大晦日になるか。
今、散歩やペーパークラフトのちょっとした合間に読む
のは、新聞のコラムで知ったこの本。
著者の谷川彰英氏は同郷(信州)の先輩。松本深志から
東京教育大(現筑波大学)へ進んだ教育思想家で筑波大学
などの教授を歴任し、定年後に作家となった。
難読ではないが、関東人からすると不思議な大阪駅と
梅田(駅)の関係。三年ほど大阪駅の近く(赤丸あたり)
のビルに通ったので特に興味深い。
明治五年、東京・横浜に鉄道が開通した。大阪でも早く
からアメリカの商社が鉄道敷設を申請していたが、鉄道は
政府主導として明治政府は申請を許可せず。明治六年に
関西鉄道管理局をつくり、翌年、大阪・神戸が開通。
汽車は「火を噴く車」として、経済の中心地、堂島から
離れた「埋め田(梅田)」と呼ばれていた辺鄙な地に駅を
作り、駅名も「大阪駅」とした。
反発した大坂人は決して大阪駅とは呼ばず、「梅田
ステンショ」と呼び、その後の私鉄や地下鉄駅も全て
「梅田」がつく。
大阪人にとって「大阪駅」は「JRの梅田駅」なので
ある。
昨日の江戸川風景、ちょっと霞んでいた。
万年渋滞の流山橋だが、さすがに大型トラックはいない
富士山も筑波山も霞の彼方
フットサルの若者は元気
こちらの若者は寒空の下で宴を張る
そして、黙々と歩くお年寄りたち、令和二年も終わりである