支持率が下がる一方で、立川の都議補選で惨敗。そして、徳島・
高知、長崎の補欠選挙が間近かとあっては、所得減税検討を指示
したという岸田首相の魂胆はあまりにも見え透いている。
自民党内部からも、税収増還付は物価高騰対策としての給付の
方が判りやすいという声が挙がるほど。信念の無い、その時任せ
の言動が支持率低下の要因だと誰か教えてやるべきだろう。
とは関係なく、成田街道4日目の佐倉宿である。ちょっと長く
なるが一気に終わろう。
家族連れで混む老舗そば屋で昼食をとった後、すぐ脇の佐倉の
総鎮守である麻加多神を参拝。天保年間に五代佐倉藩主堀田正睦
が再建したものという。
佐倉は城下町、佐倉宿を歩く前にその南西にある武家屋敷通り
に寄り道。クネクネと坂を下ると武家屋敷への「くらやみ坂」は
上り。今日は一日アップダウンである。
何軒か武家屋敷を覗いたあと佐倉宿の入口に戻る。その道も
また上り坂。この一帯は路面舗装も渋い褐色、電柱毎に秋祭り
の御祭燈が掛かる。
佐倉宿のとば口の蔵六餅本舗木村屋は明治の創業で銀座木村屋
の2号店という。
宿場通りに不似合いな市立美術館の佇まいは旧川崎銀行の
佐倉支店跡。
高札場跡は中山道のようなレプリカはなく「それらしい」壁
が立つだけ。今改めて写真を見るとここも上り坂である。
呉服「駿河屋」跡の今井家住宅は旅籠「油屋」があったところ、
桂小五郎なども泊まったと口碑に書かれる。
佐倉秋祭りの屋台が展示されるという「おはやし会館」の先の
クランクは宿場に多い「桝形」。賊や敵軍の直進を阻止するもの。
「間之町」の石柱、佐倉宿もそろそろ終わりあたり。その先を
左に入り、今日最後の寄り道は「松林寺」。小さな佐倉裁判所の
真ん前にある。
極めて地味な本堂は、初代佐倉城主の土井利勝が春日局から
譲り受けたという聖観音が安置される観音堂である。
いよいよゴールの交差点が近づく。ここも下って上る。佐倉は
「坂の街」である。
ゴールの本町交差点には冠木門の奥に「順天堂記念館」が建つ。
江戸の終わりごろに医学塾を開設した蘭学医、佐藤泰然の順天堂。
もちろん現代の順天堂大学へと繋がる。
入場料(100円)よりも靴を脱ぐのが面倒で、開け放たれた障子
から中の様子を覗く。建物は安政5年(1758)というから、当時
でも100年近く経っていたものである。
2キロ先の京成佐倉駅までは路線バスに乗る。この交差点の
バス停「順天堂病院」は多くの路線が通る要所である。
これでダラダラと6回に渡った成田街道ウォークの4日目、
臼井宿~佐倉宿を終わる。