本州と九州を隔てる関門海峡は、平家が滅んだ壇之浦や、
宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島などがある景勝の地。
行き交う船が一日約一千隻という「海の道」でもある。
日本の港湾から輸出される貨物の13%、年間3600万トン
がこのS字型の海峡を通る。鹿児島を廻るルートよりずっと
距離が短いからだ。
1945年、沖縄に上陸した米軍は、日本の海上交通を奪って
兵糧攻めする「飢餓作戦」を取り、1万1千発の機雷をこの
関門海峡に投下した。
終戦までに133隻が触雷して沈没した。当時の水深は平均
6m。沈没した船のマストが突き出し、さながら「船の墓場」
となった。
戦後に機雷の掃海が行われたが、今も2千発は残ると言う。
6mから12mに浚渫する工事も命懸けだった訳である。
そして今、更に大型船を通すため14mへの浚渫が行われる。
(11/30朝日新聞土曜版「みちのものがたり」より)
この関門海峡、新幹線で地下トンネルを幾度か往復して
いるが、関門橋を車で渡ったのは一度だけ。まだデジカメ
を持たない時代だった。
歩行者専用トンネルがあるらしいが、関門橋は高速道で
歩くことは出来ない。
巌流島の対岸にある、門司西海岸の五号防波堤の灯台は
レトロ灯台。
そしてその紙模型である。パソコンに門司港の写真を
映して背景としたが、これは対岸のようである。