結婚して間もなく、東京板橋の常盤台に住んだ。職場が
東武東上線沿いで、朝の通勤が下り方向になるのが理由。
当時の池袋へ向かう上りの混み具合はもの凄かった。
通勤の最寄り駅は下り方向の上板橋だったが池袋に出る
時は上り方向の「ときわ台」。
東武鉄道が戦前から分譲を始めていた「常盤台住宅地」に
因み、昭和26年(1951)に「武蔵常盤」から改称された。
明治40年(1907)、学習院長になった乃木希典によれば、
「平仮名は女が使うべき文字であり、平仮名は男が使うべき
文字」。憲法も教育勅語も漢字片仮名混じり文であった。
鉄道の駅名も片仮名を貴ぶ傾向にあり、「御茶ノ水」や
「百合ヶ丘」など片仮名を使うのが通常だったが、戦後は
公文書も憲法も平仮名交じり文となったため、「ときわ台」
を皮切りに「みのり台」「くぬぎ台」などとなった。
敗戦に伴う男性的価値観の崩壊が、平仮名の使用頻度を
高めたと言えよう。
(参考:朝日新聞「歴史のダイヤグラム(原武史)」)
散歩の途中、街中の紅葉の名残りにめぐり会う。