じんべえ時悠帖Ⅱ

平仮名は女々しい?

 結婚して間もなく、東京板橋の常盤台に住んだ。職場が

東武東上線沿いで、朝の通勤が下り方向になるのが理由。

当時の池袋へ向かう上りの混み具合はもの凄かった。

 通勤の最寄り駅は下り方向の上板橋だったが池袋に出る

時は上り方向の「ときわ台」。

 東武鉄道が戦前から分譲を始めていた「常盤台住宅地」に

因み、昭和26年(1951)に「武蔵常盤」から改称された。

 明治40年(1907)、学習院長になった乃木希典によれば、

「平仮名は女が使うべき文字であり、平仮名は男が使うべき

文字」。憲法も教育勅語も漢字片仮名混じり文であった。

 鉄道の駅名も片仮名を貴ぶ傾向にあり、「御茶ノ水」や

「百合ヶ丘」など片仮名を使うのが通常だったが、戦後は

公文書も憲法も平仮名交じり文となったため、「ときわ台」

を皮切りに「みのり台」「くぬぎ台」などとなった。

 敗戦に伴う男性的価値観の崩壊が、平仮名の使用頻度を

高めたと言えよう。 

  (参考:朝日新聞「歴史のダイヤグラム(原武史)」)

 

 散歩の途中、街中の紅葉の名残りにめぐり会う。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

eme
東上線には昭和27年から4年間、御世話になりました。寮の近くに今問題になって居る日大付属病院があり、週に一度内科の医長がアルバイトとして出向いて来られました。寮で集団中毒が起きた時に、トラック一杯のインターン生が静脈注射の練習をかねて押し寄せて来ました。学校間で交流のあった東大生に比べて人品骨柄大分落ちると感じましたが、中の一人と後日池袋で会い、ラーメンをご馳走になりました。彼曰く「医者は子供を大学にやらなくてはならないので、頭の良い奥さんを貰わなくてはならない。来週母と会ってくれませんか」とのこと、「種馬ではあるまいに」と驚きました。彼は郷里の福島県で開業しましたが、数十年後に一度立ち寄ったら患者さんを放っておいて駅まで見送ってくれました。今でも何年かに一度、災害の度に電話をかけてやるのですが、3人の息子さんはいずれも医学部に入れず歯医者になったそうです。倅共が国立三流大学の医学部に入れただけでも「以て瞑すべし」と、文句ばかり言って居た島田に言ってやりたいです。
ykoma1949
私のお習字は、ひらがなでした。私の育った田舎のそろばん塾と
習字塾では、習字はおばさんの「かな」の名士なのでもっぱら
かなを教わりましたが・・全く生かされませんでした。
学校の習字や展覧会の課題は大概漢字でした。やはり今でも
かな文字は女文字と思っています。なので今頃になって、漢字の
練習をしています。人に読んでもらう文字・・いつまでも上達
しません。私の母は私が幼い頃、ひらがなしか書けませんでした
幼い頃からの外国暮らしで開戦の年に帰国したので、それから
漢字を勉強したようですが・・すでに遅しでした(≧∇≦)
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る