じんべえ時悠帖Ⅱ

日光御成街道、川口宿

 先月のウォーキングは一日平均7千歩弱、換算距離約140キロ。

24年前の伊能ウォーク隊の足跡を辿るバーチャル日本一周は最終の

第Ⅴステージ(名護ー東京)に入った。

 沖縄本島の名護ー那覇の約90キロを歩き終わり、鹿児島市を出発

したところである。下図の日付は2000年の伊能ウォーク隊の足取り。

約4ヶ月で踏破しているが、私は少なくとも1年はかかるだろう。

 

 日光御成街道3日目の続きは荒川を渡り川口宿に入ったところ。

本陣跡の「旧永瀬家」は「街道から路地を少し入ったところ」と

いう先達の記述を元に「適当に」路地を選ぶが空振り。

 川口宿の入口近くまで戻ると早先の彼岸桜が咲く公園に出る。

ここで遊ぶ家族連れに訊くと、パパさんが「この近くで見たことが

ある」と言うが、詳細にはわからないとのこと。

 公園を出て通りすがりの年配の御婦人に訊くと1本先の路地と

教えてくれる。角に永瀬議員の看板がある路地、おーこの路地だ。

本陣跡は古びた門だけが残る。

 「ロータリーの一画にある川口宿絵図」はもっと手こずった。

本町ロータリーという大きな交差点を一回りするが見当たらず。

今度は若いご婦人に訊くと「あそこで訊いたらどうですか」と

交差点の一画の建物を指す。「川口市立文化財センター」

 土曜日だが幸い古いビルの2階の窓口は開いておりロータリー

の範囲は交差点から西へ100メートルもあることがわかった。

大きなロータリーの西端、旧街道の突き当りの小公園に宿場絵図

はあった。

 明治二十年の地図で見ると、ここは宿場の出入り口に作られる

「桝形」(クランク)の角であったことがわかる。また本陣の南、

荒川は狭く、鎌倉橋は小さな川を渡っていたことになる。

 因みに現在の広い荒川(放水路)は明治四十年に工事が始まった。

 のんびりウォークののんびり歩行記、川口宿からの先は次回。

 

 

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
都市部の街道を歩いていて思うのは、旧街道や昔の宿場というものにあまり、
いやほとんど関心がないと言うことですね。
行政(自治体)もそうですから一般の住民も然りです。
街道や宿場遺構(本陣や問屋跡)が大事な観光スポットである地方とは大分
違います。
ykoma1949
川口宿、本陣跡や宿場絵図などを、土地の人たちに
聞いても、即、返事が帰ってこない、ということは
この土地の生まれの人ではないか?よほど土地の歴史
やこの地の謂われに興味のない人たちに、問われた
のでしょう。この地の生まれでこの地を、知った人
(団塊以上の高齢者)は家に隠って外歩きはしない。
のかもしれませんね、意外と本陣跡、この二百年の
歴史を守り抜いている家は少ないですね~。
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