じんべえ時悠帖Ⅱ

まさに体力勝負、サクラ散る

 「全力を尽くした、だが相手が上だった、それがラグビー」

(リーチ・マイケル)。その通りだった。サクラ・ジャパン、

胸を張って帰って来い。

 

 さて、成田街道ウォークの3日(回目)の(その2)である。

休憩した地蔵堂から数百メートルで成田街道は直角に左折する。

真っすぐ進むのは東金御成街道。角に輪宝を冠した道標が立つ。

 左折して間もなく朝日を浴びて青面金剛像が並び、その右端は

「右なりた」の道標。右カーブして総武本線を跨ぐとしばらくは

真っすぐ東へと進む。

 新京成線の踏切を渡ったあたり、急に対向する自衛隊の車両が

増える。解体業者が海外に転売したと話題になった高機動車には

「空挺団」と書かれる。そうだ、少し先が習志野駐屯地である。

 8時を回りそろそろ何処かでおにぎりの朝飯をと思うころ、

御嶽神社の鳥居の奥に参道が伸びる。2百メートルあまりの

参道に座れるところはなく小さな社殿に着いてUターン。

 元の蔵王権現が明治になって御嶽神社と改名、山岳信仰の

名残りか狛犬は溶岩の上に載る。

 立派な長屋門の先に8時開店という看板が道端に建つ。

奥には広いアーチェリー場がある。姿のまゝの「入母屋珈琲」

は明るくお洒落な店。トイレ休憩を兼ねて朝食とする。

 分厚いトーストのモーニング・セットはアイスコーヒーで。

快晴の空からの陽射しで体が熱くなっている。ゆっくりと朝食

を済ませて出発すると1キロほどで薬円台入口。

 薬円台は江戸時代、小石川養生所の薬草園が造られたことで

ついた地名である。大砲の試射を見学した明治天皇が習志野原

と名付けたところでもある。

 その薬円台公園と道を挟んだ南側一帯が自衛隊習志野駐屯所。

「第一空挺団」の看板が掛かる。

 トヨタなどの自動車販売店が並ぶ先、今度は自衛隊の習志野

演習場が始まる。この演習場も、先程の駐屯地も実は習志野市

ではなく船橋市にあり、演習場の南側2/3は八千代市である。

 1キロ以上続く演習場のフェンス沿いは日陰がなく、単調な

風景と併せシンドイ歩行となる。やがてフェンス内側を同じ

速度で歩く自衛隊員が茂みの向こうにチラチラと見える。銃を

持った7,8人の縦列行進は演習なのか警戒なのか。

 演習場が切れる新木戸交差点の手前、屋根付きのバス停で

休憩し体を冷やす。最高気温が30℃までは行かないという予報

だがけっこう暑くなった。

 長かった船橋市からは千代市へと入る(その3)は次回。

 

 

 

 

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
当たり前ですが、成田街道はまさに都内から成田、三里塚への道ですね。
一番反対運動が起きそうではないところと思ったのが政府の間違いでした。
ykoma1949
ラグビー残念でしたが・・それでも前半はよく頑張って、後半
に力の差を見せつけられた。残念、悔しいが力の差を感じさせ
られました。
成田街道・・私らはバイクで、先輩から詳しいマル秘地図を
見せていただき、それを覚えさせられて、何度か連絡と食料
の配達をしてきましたが・・それもすぐに機動隊に見破られ
逃げ回って、引き返すことの繰り返し。今の時代ならGPSなど
スマホを駆使すれば、突破の道も開けたろうに・・一つの時代
もう半世紀以上も昔の話・・今思い出すと、あの時、あの場所
の運動は・・何だったのだろうか・・
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