じんべえ時悠帖Ⅱ

岩槻宿を舐め尽くす

 昨日はブログを休み日光御成街道ウォーク6日目へ。武蔵野線の

2番電車で出発。東武線春日部駅での乗り換えは待ちゼロの僥倖。

岩槻駅に6時半前に着く。

 御成街道ウォークで初めての早朝出発は、岩槻からゴールの幸手

(サッテ)まで16キロを一気にの思惑もあるが、本陣跡、一里塚など

岩槻宿の「おさらい」が目的。

 元荒川を歩いた時、綾瀬川を歩いた時の中継駅、そして今月岩槻

城址の桜見物、前回のゴール、出発の今日と7回目となる岩槻駅も

見納めかも知れない。

 駅前通りを約三百メートル先の街道筋に向かう。右手少し奥まって

「人形の町」岩槻で大手の東玉本店。

 街道筋〈市宿通り)へ出て間もなくの埼玉信用金庫岩槻支店が

本陣跡という説もあるが、昔の街道絵では日光に向かった左手に

本陣とあるので、右手のここは違うようだ。

 前回「このあたり」と書いた高札場跡。白壁造りの八百屋の隅に

レプリカが立ち、厳めしい「高札場跡」の札がかかる。

 ここは前回「八百屋安兵衛」と言う名前と楚々とした店先に気を

取られて高札場跡に気が付かなかったところ。疲れ果てたゴール直前

だった。

 岩槻宿の入口、横町口の古い建物は郷土資料館。昭和初期に建て

られた元岩槻警察署という。

 駅前通り交差点に戻ってから一本先の栄町通りから更に「裏小路」

へと曲がり、埼玉県で唯一残る藩校跡「遷喬館」へ向かう。その角に

お、久々鐘旭様が載った屋根がある。武州の中山道沿いに多かった。

鐘旭様は厄除け、火事除けの神である。

 裏小路に入るとすぐ板塀と茂みが続く。ここが藩校跡かと思うが

入口が無い。その先のレンガ色の建物は公民館兼図書館という。

 その前の路地の先が岩槻藩校「遷喬館」、まだ早朝(7時)で門が

閉まる。藩仕えの儒者、児玉南柯(ナンカ)が寛政11年(1799)に開いた

私塾で後に藩校となった。

 門扉の格子からカメラを差し込んで撮る。藁ぶきで質素な建物

ある。遷喬は詩経の「伐木」の一節「出自幽谷、遷于喬木」からで、

鳥が友を求めて深い谷から高い木に飛び移ることを意味する。

 表通り(御成街道)に戻る角、裏小路公園でおにぎりの朝食。

ここは旧秋葉邸。小路は武家屋敷があった道、通りは民家や商家

があった道という。

 本陣跡、一里塚跡、時の鐘と本題が残るが、それは次回。

 

 

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
御成街道で日光に向かう将軍が初日に泊まったのが関八州の北の砦、岩槻城。
その城下町及び宿場町として栄えたためか情緒がある街です、堪能しました。
ykoma1949
岩槻宿・・この宿場町、都会にしては少し時代の景観を残し
高札場跡も、その向きを変えても残してくれる・・お店にも
邪魔にならないように工夫して・・いい街なんでしょうね
茅葺の施設があって、 時代を感じさせてくれています
続きが 楽しみです。
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