じんべえ時悠帖Ⅱ

「昭和16年夏の敗戦」

 上州の渋い城下町小幡の3回目を延期して、最近読み

終わった猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」を紹介しよう。

 以前も書いたが猪野直樹は高校の一年先輩である。

二年間同じ校舎で過ごしたわけだが、大人しかった私は

知己がない。

 昭和16年春、日米英開戦の機運が高まる中、陸海軍や

省庁、民間企業や報道機関からも三十代半ばの若きエリ

ート、四十名弱が集められた。

 急に決まった者の中には、赴任先の中国大陸の奥から、

家族共々軍用機で駆けつけた役人も何人かいた。

 当初、講義や体育の時間もあるなど課題は曖昧模糊と

していたが、やがて「総合的俯瞰的な」日米英開戦後の

シミュレーションであることがはっきりとして来る。

 彼らは出身母体を勘案した模擬内閣を立ち上げる。

出身母体から集める極秘かつ正確な国情を駆使した研究

の結果、どうみても「敗戦」しかないと結論する。

 もちろんメンバーの陸軍少佐(模擬内閣陸軍大臣)は

快進撃を主張。しかし大勢は「敗戦」論が勝った。

 八月下旬、研究成果の発表が現実の近衛内閣の閣僚の

前で行われた。個々に模擬閣僚の発表が行われ、最後が

窪田模擬内閣首相の総論。

 内容はさすがに敗戦を仄めかす程度に抑えられたが、

総力戦研究所の所員として彼らの監督指導にあたった

陸軍幹部は「未熟で稚拙な研究」と一蹴する講評で、

更に結論を曖昧にした。

 しかし、この後で近衛三次内閣退陣を受け青天の霹靂

で総理大臣となった、現実の陸軍大臣である東条英機は、

仄めかされた敗戦の結論を誰よりも重く受け止めた。

 

 猪瀬直樹は総力戦研究所の「敗戦の結論」が開戦前の

夏に出され、初期の戦況がシミュレーション通りに進ん

だことを書きながら、実はこの本は「東条英機論」なの

である。

 これ以上は、天皇ヒロヒトと東条の「機微に触れる」

ので読んでのお楽しみとしよう。この文庫本にはこの

ような派手な二重表紙が付く。

 


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
長野中学一期生、松代出身の硫黄島総責任者の栗林中将も
長岡中学の山本五十六も開戦反対派でした。
海軍は一番現実をわかっていたようですね。
この本の中でも、総力戦研究所に海軍から派遣された一人は
「どうせ勝てやしねんだから何をやっても無駄だよ」と
研究をさぼっていたと書かれています。
jinbei1947
ワイコマ様
当時の国民が大本営発表の偽りの戦果に踊らされたことは事実でしょうが、
異を唱える同じ日本人を同調圧力で威嚇したことは、今回のアメリカの
大統領選挙におけるトランプ支持者、いやトランプ自身がカブって来ます。
えめ
1945年春、じんべい様の大先輩? に当たる夫は、海軍兵学校の最後の学年に入りました。本人曰く、当時は東大へ行くよりも名誉であったとのこと。半年後に終戦を迎えて閉校になり、長野中学校へもどったそうですが、海軍は陸軍と違って、毎日英語の授業を叩きこまれたということでした。やがて旧制高等学校寮歌祭に兵学校も加わり、(陸軍士官学校は入りませんでした)夫は両方の制服を着替えて壇に登りました。仙台は二高なので、40校余りある順番の、2番目に出ました。あのバカみたいな集団は、皆鬼籍に入ってしまいました。
ykoma1949
私は読んでいませんが、機会があったら読ませて
頂くことにします。今顧みればあの戦争がこの国
をどん底に貶めた僅かな指導者のもとに挙国一致
その日本の国民性は、あれだけの戦争を体験しても
また、所得倍増計画とか日本列島改造論とかで国民
みんなでそれに向かって・・今日に至っています
なんか、その戦後70余年我々は過去から学んで
進歩したんだろうか?? いや 学んでないんでは
ないだろうか??と自分を疑いたくなります
今も長州のやんちゃ坊主や羽後の闇の大臣達に
我々の首根っこを押さえられている。本当はこの
猪瀬さんたちがもっと活躍できる環境を作って
行かねばならないが・・与党の中には沢山の魔物
が棲んでいて右しか知らない人たちがこの国を
仕切っている・・なんか、虚しいですね~
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