私のブログを検閲している人が居るそうです。まだ、治郎が私のことを書くのでは・・・。それでおれのブログの観覧者・閲覧者が増えた。私は、これを出版するつもりも、お金もありません。
戦前の憲兵隊。教科書の様に一つ一つ、表現・個人名・内容をチエック。ブログって、そんなに怖いものですか。
私は、余り怖いものがありません。だって、失って、困るもの・・・。中国語で「没有」ありません。
だから、たくさんもの・お金・財産を持っている人は、用心深い。セコムが流行るのは、そういうわけ、なるほど・・。
台湾にも、セコム来ているのか、来ている感じがします。時々同じようなマーク見かけます。もしかしたら違うかも。
だだ、検閲している人も、暇。何のため、自分のメイヨ・メンツ・・・。何から、何を守りますか?
そういう人をま・ぬ・け・といいます。私は、昔から、監視して生徒を指導したことありません。だって、生徒は、いたずらする権利があります。その間違えを指導するのが教師。待ち伏せして、隠れられて、「たばこを吸う現場を見つけよう。」こんなこと言う人誰ですか。
生徒指導主任。その学校は、年中たばこ吸っているんだ。だからって、教師がかくれんぼしてどうするんだ。
教師も遊ぶような気持ちで指導するならわかります。
「みっけー。」「カンタの、たばこみっけ。」「おれ見つかっちゃた。」今度は、治郎張が隠れて・・・。もういいかい。
けど、こんな学校ないのも知っています。けど、それぐらい、生徒指導。大体、この言葉とても嫌いです。生活指導。この言葉の響きがすきです。もちろん、意味も中身が言って濃いほど違います。
ひとつは、文科省が作った言葉で、いかに体制側に付く人間作ることを目的としています。言うことを聞く人間を作る人間。ここでは、素直さ・従順さが大切です。
もう一つは、生活綴り方から来た、生徒を中心に、どう生きたらいいのか共に探る教育的作業。こっちは、すごーく、子供を大切にし、
なぜたばこがいけないか、なぜたばこをするのか、家庭でどうなっているの。自分でたばこを吸うことをどう思っているのか。
このお金は、誰から出ているのか。等々。生徒に考えさせながら、自覚と行動の変化を求める指導。
これは、めんどくさい。ぶっ飛ばしこと生むを言わせずに、ひたすら殴る。こういうのは。指導と言わず。管理といいます。
もちろん、管理無くして指導はありません。けど、殴られた生徒の心に何が残るのでしょう。もちろん、わたしも、37年で20回位殴りました。だって、生徒は、子供で・・・いたずらする権利があるのにどうして・・・。いたずらは、いいよ。けど、一応、担任の先生が叱っているだから・・・。日本には「長幼の序」という言葉。「3歩下がって、師の影を踏ます」
目上・目下の区別があるでしょ、そういうのを小学校で教わりませんでしたか。教わりません。だから、今、おれは、先生。あなたは・・・。
私は、生徒。そうすると・・・、立場が違うでしょ・・・。あなたが、たばこ吸っているの、私が見のがしたらおかしいでょ。
止そうきりがありません。
昔の教育は、厳しかったのですか。全然。おれ先生に、叱られたのは、将棋していた時、映画館でたばこ吸ったことことを表番に告げ口されたとき、怒られ殴られました。けど、私の中には、先生への恨みは、全くありません。したのは、自分、反省だけ。
要は、治郎張は、相手が治郎張の立場わからない時、殴ることがあるんだ。だって、中学生なのまるで「赤ちゃんが地団駄ふんでいる」ように、話が通じないと・・・。最初から殴ることは滅多にしません。教育の基本「説得し納得」で説きますが・・・。居るだよ。中学校にも
世の中にも、「赤ちゃんのような」人間が・・・・。おい。俺のことか
再見。
戦前の憲兵隊。教科書の様に一つ一つ、表現・個人名・内容をチエック。ブログって、そんなに怖いものですか。
私は、余り怖いものがありません。だって、失って、困るもの・・・。中国語で「没有」ありません。
だから、たくさんもの・お金・財産を持っている人は、用心深い。セコムが流行るのは、そういうわけ、なるほど・・。
台湾にも、セコム来ているのか、来ている感じがします。時々同じようなマーク見かけます。もしかしたら違うかも。
だだ、検閲している人も、暇。何のため、自分のメイヨ・メンツ・・・。何から、何を守りますか?
そういう人をま・ぬ・け・といいます。私は、昔から、監視して生徒を指導したことありません。だって、生徒は、いたずらする権利があります。その間違えを指導するのが教師。待ち伏せして、隠れられて、「たばこを吸う現場を見つけよう。」こんなこと言う人誰ですか。
生徒指導主任。その学校は、年中たばこ吸っているんだ。だからって、教師がかくれんぼしてどうするんだ。
教師も遊ぶような気持ちで指導するならわかります。
「みっけー。」「カンタの、たばこみっけ。」「おれ見つかっちゃた。」今度は、治郎張が隠れて・・・。もういいかい。
けど、こんな学校ないのも知っています。けど、それぐらい、生徒指導。大体、この言葉とても嫌いです。生活指導。この言葉の響きがすきです。もちろん、意味も中身が言って濃いほど違います。
ひとつは、文科省が作った言葉で、いかに体制側に付く人間作ることを目的としています。言うことを聞く人間を作る人間。ここでは、素直さ・従順さが大切です。
もう一つは、生活綴り方から来た、生徒を中心に、どう生きたらいいのか共に探る教育的作業。こっちは、すごーく、子供を大切にし、
なぜたばこがいけないか、なぜたばこをするのか、家庭でどうなっているの。自分でたばこを吸うことをどう思っているのか。
このお金は、誰から出ているのか。等々。生徒に考えさせながら、自覚と行動の変化を求める指導。
これは、めんどくさい。ぶっ飛ばしこと生むを言わせずに、ひたすら殴る。こういうのは。指導と言わず。管理といいます。
もちろん、管理無くして指導はありません。けど、殴られた生徒の心に何が残るのでしょう。もちろん、わたしも、37年で20回位殴りました。だって、生徒は、子供で・・・いたずらする権利があるのにどうして・・・。いたずらは、いいよ。けど、一応、担任の先生が叱っているだから・・・。日本には「長幼の序」という言葉。「3歩下がって、師の影を踏ます」
目上・目下の区別があるでしょ、そういうのを小学校で教わりませんでしたか。教わりません。だから、今、おれは、先生。あなたは・・・。
私は、生徒。そうすると・・・、立場が違うでしょ・・・。あなたが、たばこ吸っているの、私が見のがしたらおかしいでょ。
止そうきりがありません。
昔の教育は、厳しかったのですか。全然。おれ先生に、叱られたのは、将棋していた時、映画館でたばこ吸ったことことを表番に告げ口されたとき、怒られ殴られました。けど、私の中には、先生への恨みは、全くありません。したのは、自分、反省だけ。
要は、治郎張は、相手が治郎張の立場わからない時、殴ることがあるんだ。だって、中学生なのまるで「赤ちゃんが地団駄ふんでいる」ように、話が通じないと・・・。最初から殴ることは滅多にしません。教育の基本「説得し納得」で説きますが・・・。居るだよ。中学校にも
世の中にも、「赤ちゃんのような」人間が・・・・。おい。俺のことか
再見。