台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

404 土日図書館は、・・・2

2013-04-28 21:20:19 | 台湾
前の続き。
一方で、将来的に自分がどうなるか、などに関しては驚くほどネガティブである。長期的に悲観になっても無駄だということを知らない。逆に、短期的に「まあいいか」と楽観的になると、のちのち悪いことが起きるのを知らないので、目の前のことに対しては真剣に考えない。

一部抜粋のうえ転載

こういう考え方もあるのかと思います。けど、彼が考えた言葉でも何でもありません。
人の、ブログ。本から借りてきたことは、彼には、・・・・ありません。
こういう人に言うのは、「馬の耳に念仏。」「君子危うきに近寄らず」・・・、ただし、私は、君子ではありません。「言うは、安し、行うは、難し。」
ま、載せても何でも、関係ありません。
世の中に、人の言葉を載せて、自分の経験・考えように、書く神経がわかりません。
 いろんな人がこの台湾には、生活していますから。
自分のブログに載せればいい。わざわざ人のブログに、「貧乏人」の悪口を載せて、何が面白いんだろう。
ま、俺と同じ欲求不満の学生。ま、しょうがありません。
 けど、もう、勉強が出来ないので、「ストレス」解消に利用されているだけ。
てぶ。もうやめなさい。降参。「あんたが一番賢いです。」「私は、ただの貧乏自慢な親父。」
もっと、自分の未来に向けて生きてください。
 あと、人のブログを自分の欲求不満の材料にするのは、やめてください。
                          さいけん。

403 ブログ 土日は、図書館は、一杯。1

2013-04-28 21:16:36 | 台湾
ま、台湾の図書館どこも、日曜日は、一杯。人口に対して、図書館が少ないのか、台湾人が図書館すきなのか。わかりません。日本は、こんなに一杯は、国会図書館、日比谷の図書館ぐらい。葛飾区・与野市・春日部・本庄・上里・美里・松戸市の・・・。松戸は、土・日は、車を止めるところが無く、待っていて、入ったら、今度は、座席が・・・・。新聞を読むところだけ、あいていました。
人生の中で、図書館は、たくさん利用しました。葛飾区立立石図書館が最初。私が初めて、図書館を使ったのは、立石図書館。中学二年生。座るところも、前ブログに書きました。
「三四番」に毎日座りました。そこで何していたの、本読んだり、夏休みの宿題したり、
いろいろ。勉強という物を初めてしたのもここです。
 ま、書くとデブが怒るかもしれません。しょうがありません。家では、勉強する環境がありません。そんな人居るの?家が貧乏だといろいろあるの。デブには、わからない・・・。わからないことを説明しても、理解出来る人と出来ない人が居ます。
デブは、理解出来ない人。しょうがありません。金持ちに生まれた人には、貧乏人の気持ちは、わかりません。こんなコメントくれました。どこからか、写してきて、いかにも自分が書いたの如く装っています。ま、一部抜粋と書いてあるから・・・。一部ではなく全部。そのレベルの人。人の文章は、ケチ付けるけど、自分では、何一つ書けない人。
では、デブのコメントを全文掲載します。
Unknown (Unknown) 2013-04-27 09:24:28 ■貧乏人に大量に触れて初めて気づいた8の共通点

貧乏人たちの共通点

■貧乏人は他人に厳しい
貧乏人はとにかく人に親切でない。この程度の親切ならと思えるようなこともしない。金銭的な面だけじゃなくて、「世話になっている人に対してこの程度の手間なのに」と驚くようなことすら断ったりする。

■貧乏人は無駄遣いをする
貧乏人はとにかく無駄遣いをする。100円で買えるものが150円で売っていても、かまわずに払う。お金持っていないのにいいのか、と私が思うようなことでも、無駄なものに考えなしにお金を払う

■貧乏人はお金を使わない
貧乏人はお金を使わない。無駄遣いはするが、お金は使わない。うまくいえないが、お金を使う勘所を意識していないのではないか。自分のところに貯めておくべきお金でギャンブルをし、堅実な貯金で将来的に自分にお金がはいることに気が回らない。

いわゆる投資もそうだが、若い人やこれからの人を支援したりすることには徹底して時間とお金を惜しむ。そのことでよりお金が回ることを知らないからだ。

■貧乏人は周りを大切にしない
貧乏人は周りを大切にしない。無駄遣いばかりする代わりに、友人に贈り物はしないし、
これは、その行為を無駄遣いだと思ってるのかな、と思ってたのだけど、そこまで合理的ではない。ただ周りの好きな人間を大切にしなくてもかまわないという気持ちのようだ。

■貧乏人は勉強しない
貧乏人は勉強をしない。とにかく本を読まない。講演を聴かない。人から教えてもらわない。

勉強したことが無駄にならないことをわかっていないからかもしれない。

■貧乏人は聴くより語る
貧乏人は聴くより語る。人にたいして自慢話をしたりはしょっちゅうだ。そして人の話を聞こうとしない。

人の話を聴くメリットより、自分の話をするメリットのほうがでかいと思っているわけだ。ペラペラ自分の話ばっかりする貧乏人は多い。

■貧乏人は挑戦しない
貧乏人は挑戦をしない。やったことないことや、苦手なことをあえてやってみようとしない。
失敗するリスクの低さと、経験のリターンの大きさを知らないのだろう。

■貧乏人は短期的にポジティブ、長期的にネガティブである
貧乏人は短期的にポジティブ、長期的にネガティブである。よく貧乏人はネガティブな人が多いと言われるが、実際には、そうでもない。短期的には楽観的だったり不安に思わなかったりすることが多い。避けられる失敗をなるべく避けようとする気持ちが少ない。

続きは、次稿へ。再見。

ブログ402 私は、職人は、無理・・・。

2013-04-28 21:11:28 | 台湾
 私の親父は、ガラス職人でした。岩田工芸という葛飾にある工場に勤めていました。親父の働いている姿、「すごい」の一言。だって、夏に、裸で、塩を舐め舐めガラスを作っていました。だって、炉から取り出して、一分か二分で勝負が決まります。だって、ガラスが硬くなったらもう、終わり。固まるまでの勝負。
確かに器用な親父でした。だって、ただの倉庫を家に変えたり、風呂を作ったり・・・。
こういう人を器用貧乏といいます。
 私もあこがれましたが、私は、飛び抜けて、不器用でした。左利きは、とても器用と不器用に別れます。私は、もちろん、後者。
我が家の兄弟で一番不器用でした。だって、壊した時計とか元通りに直せた試しがありません。当時の時計は、ゼンマイ仕掛け。だから、比較的直しやすいのだが・・・。
私の手に掛かると、直る物も、壊す。壊れた物は、更にひどく壊す。
ま、しょうがありません。不器用治郎。
 だから、私は、職人にあこがれましたが、全然才能ありません。
当時いろいろな職人居ました。ガラス・大工・寿司・そば等たくさん職人の路がありましたが、どれも無理。
 だから、私は、手先の仕事には、向かないと思いました。だから、詐欺師としての技術を磨いて、「教師」に成りました。これは、私の天職。だって、自分で出来なくても、手 先の器用な生徒は、いくらでも居ました。龍雄先生のように器用なら・・・。ほかの路もあったでしょうが・・・。ま、口だけ動かしていれば、生徒は、働いてくれます。
ただ、柔道部顧問になった時は、・・・。一年生の内は、力で勝てるけど、もう生徒が足技を覚えてたら、もう勝てません。本庄西中で五年間柔道部顧問をしていました。もちろん、主たる技術は、近所の整骨医である松崎さんがやってくれました。けど、たまに生徒と柔道着を着てやるときもありました。そうそれは、「惨め」。大の大人が、中学二年生にあっという間に投げられる様は、見られた物ではありません。
また、こいつが少ししつこい奴。少し意地悪な奴。名前「W」としておきます。この親も同じように意地悪。とくに「母親」が・・・・。
顧問と親の間もいろいろ。しっかり信頼関係で結ばれていればいいけど・・・。私のような、初心者にも、親は、「先生もっと強くなれ 。」なんか。何のための顧問。生徒が強くなれば良いだけなのに、顧問の私にも、強くなれと要求。少し間違えていませんか。
だって、すべての技術を持って教師になったわけではありません。
いろんな親がいます。ま、そういう親とも、「上手」につきあうしかありません。
中学校の教師が万能選手だと思っているのか。ある部分、公務員です。そういう風に、割り切らないと、やっていけません。自分の旦那さんも、公務員だから、充分わかって居るはず・・・。 24時間は、闘えません。
 とにかく、私は、もう自分の不器用さわかっているので、あまり「もの」を直しません。正確には、直せません。世の中、不器用でも生きてこれました。私より、不器用な大人まだ見たことありません。
                 再見。

ブログ401 林間学校・修学旅行は・・・

2013-04-28 04:06:51 | 台湾
私は、若い頃は、泊まる行事は、大好きでした。与野市は、当時、六日町に、山の家があり、そこに林間学校へ行っていました。一回は、2泊三日。私は、連泊。4泊五日。
山の家のご飯は、とてもおいしくて、何倍もおかわりしました。当時は、私の体重52,3キロ。痩せていました。その私が朝から、ご飯をおかわりしました。
とにかく。山の家の「米」は、最高。新潟県魚沼郡の本場の「コシヒカリ」
これを食べたら、もう、ご飯こんなにおいしい。おかずが無くても、食べられます。
与野東の卒業生の皆さん覚えていますか。
あの、雲洞庵で座禅したこと。オリエンテーリングしたこと。もう忘れていたでしょ。
私は、昔のことは、覚えています。今のことは、すぐに忘れます。
ま、必要なことは、「自然に覚えます。」
私は、だから、余り心配していません。中国語は、いつかうまくなれば良いだけ。台湾人と話せば、良いだけですから。中国語と台湾語は、少し違うようです。まだ、その違いは、私のレベルではわかりません。「こうの」K1のレベルになったら、わかります。
 当時、先生方は、泊まることは、嫌いでした。私は、大好きでした。結婚していても・・・。だって、楽しい。
 泊まるというのは、生徒が悪戯いっぱいします。女風呂を覗いたり、夜中に、男が女の部家に入ったり、・・・。生徒は、悪戯する権利があります。私は、いつも仕事として、生徒を叱りました。そりゃそうでしょ。夜中に女生徒の部屋を訪ねて、教師がほめたら変でしょ。みんながやります。
キャンプフアィヤーも好きでした。大体お祭り好きなタイプ。だって、未だにお祭り大好きです。年越しとか一日中、「日本料理屋」で酒飲んでいました。三十人ぐらいの台湾人と。今年の話。
 昭和51年・54・57・61・平成元年。三年に一回。山の家は、分泊。全員が行けません。施設が狭く、三〇〇人は、入れないので、2クラスずつか3クラスずつ行きました。ま、今となっっては、笑い話も多いが、・・・。結構オリエンテーリングの問題考えたり、地図を作ったり大変でした。ほとんど、長島先生と龍ちゃんがやってくれました。私は、彼らの言われるがママ動いただけ。
 金子さんは、生徒と一緒に風呂入りました。彼の逸物は、とてもでかい。生徒も言っていました。金子先生も、草葉の陰から、喜んでいます。須田先生って、覚えていますか。
この先生は、与野東だったような気がしましたが・・・。同じ社会科の。
後、体育の柿さん。この人とも、よく議論しました。ま、いい人でした。
 ま、修学旅行で、早起きした人と一緒に散歩したのも・・・。十四・五人起きて一緒に散歩しました。京都でなんか、揚げたての練り物を食べた記憶があります。
今となっては、昔。京都という所は、たしかに「日本人」の故郷。
嵐山・清水・寂光院とか、鞍馬方面は、修学旅行ではいきませんが、個人的に好きです。
京都は、じつに、良くできた町。日本の都であるというのを実感できます。
 平安時代<貴族>の様な気持ち。ま、当時は、当時で、大変だったのだと思うが・・・。もう金持ち・貧乏人。貴賤がありました。不思議だよ。未だに、人間に貴賤とか、金持ち・貧乏で・・・苦しんでいる人が居るなんて。
もう、差別は、無いはずなのに・・・。現実の格差社会は、厳然と・・。もちろん、平安時代も「いえがら」「血筋」ですべて決まる社会。今日は、学歴、本人の能力。それだって、貧乏人は、十分な教育受けたくても・・・。
 ま、修学旅行の話から、とんでもないところに話が飛びました。与野東卒業の皆さん。いつか六日町の山の家を訪ねてみてください。
再見。

400 ブログ ああ、もう400号か

2013-04-28 01:06:40 | 台湾
 前は、百を単位として、結構感激しましたが、このところ、ブログの更新が早く、すぐに四百になりました。これは、新幹線で旅行しているのと同じ。だから、味けない。そうだよ。そんなに毎日、たくさん更新しないで、ひとつ・一つじっくり書いた方が。何となく、このペースに・・・。思い出しました。誰かが俺のブログの悪口を書いてから、俺がエキサイトして、・・・。
何となくこのペースになってしまった。書いた原稿は、まだありますが、なんか、確かに、忙しい。読む方は、五分もあれば読めますが、
書く方は、最低三十分。長いと、一時間ぐらい。いかに、私が暇であるかわかります。だって、日々二時間は、書いていると言うこと。
書く内容は、大体一緒。だって、人間が単純な人間。そいつが書いているだから、結論は、同じです。やっぱり、もう少し精選した方が・・。
どっちにしろ、同じだな。
 ブログを書き始めて、気づくことは、物の見方が、少しだけ、深くなりました。もちろん、ドジの回数は、同じですが。それと、これに塡ってから、性欲が少し減ったような気がします。どういう因果関係かわかりません。事実を伝えているだけなので・・・・・・。
後は、勉強の回数は、兎も角内容が、雑になってきているような技がします。言葉は、いずれ、すらすらに成るにしても、なんか、・・・。
ま、そう思ったら、勉強し直せば良いだけですから。
 一つ言えることは、自分がこんな風に、贅沢に生活出来るのも、周りの支えによって成り立つって居るということは、本当。
周りに感謝。この気持ちは、台湾治郎の本音です。人として、未熟な面もたくさんありますが、この「感謝」の気持ちこそ大切です。
この前だったか、台湾で、ごちそうしたい人をブログに書きましたが、本当は、妻と子供。これが一番。
みんな元気のようですから、日本に帰った時、じっくり感謝の言葉を伝えます。
 ありがとう。 
 後四百号で言いたいことは、ありません。みんなが元気なら・・・。399号に書いたように、「命」これより大切な物は、ありません。
私は、もう歳ですから、いつ失っても、後悔しません。できれば。孫の顔を見て・・、たいが。
これがダメでも、別に、しょうがありません。こういう時代ですから。
生命の永遠なんて、恐ろしい。死んだ方が、国民年金が助かります。そうだよ。これから、超高齢化社会。三分の一が60歳以上。後、十二年ぐらいで・・・。とうなるやら日本は、・・・・。日本人のことですから、きっと、なにか・・・考えてくれるでしょう。
長野県のやり方が一番イイ。病気の人を作らない取り組み。年中健康管理して、病院に通う老人が少ない。
だって、俺の町は、老人が病院を「サロン」にしています。毎日、病院通い。それも変だよ。そんなに病気ありますか。ま、お医者さんの顔を
毎日、見に行くのも・・・。本当の病気の人が・・・、病院に罹れなくなります。それと、医療費が膨大。
乱暴なことを書きます。六五歳以上の人は、通常の医療費より二倍にします。そうすれば、医者に罹るかる人が減ります。
こんなんでいい。だって、もう働いていない人は、そんなにたくさん税金を使う必要は、ありません。いいだよ。
もう覚悟して貰えば、死ぬことを・・・。少し乱暴すぎましたが、私の本音です。
 後はありません。ではさようなら。今日は、大屋が朝早く、家賃を取りに来るので、早寝します。
                                          再見。