ある事情で現在、ブログは、他人の管理下にあります。日本にいる間は、6月12日まで、更新する予定がありません。私が死んだという話がいろいろな方面に広がり、ご迷惑をおかけしています。読者のひとりが冗談で、「松木さんは、プールの事故で亡くなりました。」読者にもいろいろ居ますから・・・。とりあえず。元気に居ることだけお知らせしておきます。そんなに簡単に人間死ぬわけありません。私が、間抜けなな投稿者に変ってお詫びするのは、変ですが、ご迷惑は、掛けたことは、事実のようですから、お詫びします。 今、何しているかは、また後ほど、書きます。
ブログ503 昔の貧乏と、今のとどこが何が違うの?。
私の育った昭和30年代は、私の周りは、みんな貧乏。確かに少数金持ちの家も、あったようだが、ほとんど、同じ。何かして、小学生の頃から、楽して金儲けしょうとしていた。それと、遊ぶことは、大切な社交場。公園、神社が集まる。上下関係があり。結構、ボスが下級生が我が儘言うとぶっ飛ばす。もちろん、親には、言わない。それぞれの地域のたまり場があった。大体一番上は、中学一年生か2年生。三年になると、もうガキ集団は、相手しない。ビー玉、メンコ、鬼ごっこ・・・たこ揚げ、相撲大会、いろんな遊びをその時々で自分達にで話し合いしていた。もちろん、一番年長の人が最終的に決める。季節・天気・気温・場所等を考え、決める。私は、将棋大会が好きだった。余り負けなかったから。ところが、動議の必要な物は、みんなそれを持って居ないこともあるからあらかじめ、土・日曜にやることを予告して、行われる。
もちろん、近所の子供達、だからどの家のだけだかみんな知って居る。そんな中で、毎日遊ぶ。これが日課。時間は、学校の終わりから約二時間。土…日は、もっと多かったように思う。貧乏は、決して恥ずかしく無い。だって、みんな貧乏だった。
いまの、貧乏は、未来を閉ざす。普通に生活して、貧乏より、家庭が離婚していたり・・。様々な理由で親が働けない。家庭に家庭としての憩いがないのでは・・・。中学生が心が不安定になったり、家庭的事情で勉強出来なかったり・・・。それが重くのしかかり、本人も、親も負けそうなのではないか。全部の家がそうなって思っていません。だって、親が精一杯闘って居れば、むしろ、子供は、親に感謝し、早く自立しょうとするのでは・・。その方が、私らは、夏休み等長期の休みには、アルバイトしたが、平日、土・日には、していなかった。いまの人達は、高校生活があるときもアルバイト。部活動が出来なくなるのでは、ないかと思う。日常の生活費を稼ぐのは、一緒だが学校生活がある時は、してはいけないと。思っていました。平時までしなくては、いけないほど生活が逼迫しているということか。月に現在のお金で四・五万。そのお金。全部親へ。それじゃ、自分を取り戻す時間がなさ過ぎ。ある一定、暇、自由な時間は、ないと・・・・。それと、勉強が難しくなり付いていけなくなる。そうすると・・・・。学校も嫌になり・・・る高校中退。だって、寝ていない、疲れがたまっている時、考えることは、ろくなこと考えない。
貧困家庭の子供が疲れ気味。アルバイトもあるけど、何のために自分は、生きているのかなんて、考えれば、考える程嫌になる。毎日。そんな思いを抱えて生きるのは・・・。
昭和の親は、元気。みんな元気に働いて、働いて・・・。ぐっすり眠り。まだ、働く。そんな姿しか、私の親は、覚えていません。悪いことをしないか気は、使ったていたと思うけど、大体本人の意志で決めて良い。もちろん、お金の出所も、自分で出来る範囲は、自分でする。だから、私は、自分の大学時代の小遣い、学費等は、自分で賄えた。今は、無理です。学費が高すぎる。
貧乏が連鎖するかしないか。わたしらの時代は、しない。本人の努力で回復できた。それと、勉強が出来なくても、生きる道があった。今、特別な人は、別にして、中学卒業で働く人居ないでしょ。みんな高校へ。だから嫌いな人は、中退になる。(若いときは、肉体労働でいいが、年を重ねると、身体がきつくなる。)高校中退と言うだけで、事後とが見つかりにくいかも・・・。わたらの時代は、身体が丈夫なら、OK。失敗して、嫌なら、別の仕事で・・・。やり直しのきく社会。一度、脱線しても、周りが暖かく、この失敗を叱り、励ましてくれる社会。
今は、一度、脱線すると、もう元に戻れないのではないか、という恐怖との闘い。だから、心を病む人も多いのでは・・・。
どっちの方が、人間らしい。脱線しても生き残る道がありました。
そう人間らしい、誇り、希望に満ちあふれていました。だから、私のような人間でも、教師が務まりました。ありがとうという感謝の気持ちが自然と出て来る。今の人に感謝を
我々が言うと、どうもお説教僕なりがちになってしまう。
ま。お説教にならないように気をつけます。
再見。。