台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

514 ブログ514 私は、何故大学を辞めたか。

2013-06-19 13:42:37 | 台湾

  いまさら、自分の恥を差すらことありません。
けど、私には、恥ずかしいと言う感情が普通の人より少ないようです。
理由たくさんありました。
ひとつは、授業の半分しか理解出来なかったこと。これは、自己責任。
ふたつめは、余り真面目に勉強するのが好きでなかった。自己責任。
みっつめは、どうきゅうせいにきらわれた。これも自己責任。
よっつめは、中国語教える先生は、中国語しかはなしをしていなかつた。
    日本語の先生になりたい私も、日本語だけでなれるかも・・・・。わかりません。自分勝手。

いつつめは、お金の無駄。わからない授業に月に10000円払うのなら、じぶんなりにしたほうがいい自己責任。
むっつめは、しはんだかくのがくせいは、みんなゆうしゅう。若い人とこのじいさまがいっしょにべんきょうしていると劣等感になやまされる。にんげんは、れっとうかんのなかではとてもいきずらい。自己責任。

ななつめは、おさけをさんかいのんでだいがくへいきました。自己責任。
やっつめはつねこのろくじゅういちのじいさまをあいてしてくれるわかいおんなのひとは、すくない。居ない。いや、・・・。ただのすけべ。
ここのつめは、せんせいのじまんをきいていられなかった。じまんするひとは、あまりすきではありません。
じゅう。ときどきねぼうしました。これも自己責任。
こんなもんです。りゅうがくせいは、みんなまじめにべんきょうしている。そのなかで異物がまじったようなもの。
それとてきもおおかった。こくさいがくしゃのRとかわたしをきらいなひとがたくさんいました。だから。わたしは、ブログ上ではしんだことになりました。
しんだひとがうろちょろしていたら、みんなわたしのことを「幽霊」といいます。
また、女の子に、へんなことをいうかもしれません。
そうしないほうが台湾に長く生活できます。

それでも、もとがっこうのせんせいですか。せんせいでした。
                                    さいけん。


513 ブログ513 今、ネットカフエ難民は、・・・

2013-06-19 13:18:38 | 台湾

    ユーチューブでネッカカフェ難民が日本で五千人いるとのこと。ビデオを見ていたら、20代と50代の人が多かった。ある人は、郵便局に勤めて、リストラに遭い、それから転落の人生。
 家族とも別れ、一人で生活。郵便局なら退職金もあったろうに・・・。なぜ、ネット難民にならなくては、いけないのか。少し疑問が残った。
私が日雇いだったら、・・・と考えると気が遠くなる。日雇いというのは、人間の労働に対する侮辱。人間に対する冒涜。だって、明日の仕事があるかないかわからない。当日、前日にならないとわからない。その間のその人の不安。私は、こう言うギリギリの所には、生きたことがない。私らの時代も貧乏は、ありましたが仕事は、選ばなければ、必ず手に入りました。その違いは、「天と地」程の差がある。
 明日の生活費がない、大学時代すこしありましたが、部活の連中がおかずを分けてくれ、
ご飯さえ頼めば、おもらいができた。友達が年中ではなく、1年に数回。仕送りが遅れたとか、お金を使ってしまったとか・・・。それと、私は、東京だから、お袋にいくらか借りて、アルバイトのお金が入ったとき返す。いざという時は、親に頼めた。
  明日の生活費がないという経験は、ない。ホームレス、ネット難民の気持ちは、わかることができない。想像は、いくらでも出来るが、あくまで本人しかわからない気持ちがあるだろう。人間は、その人でないと、本当の気持ちは、わからない。
 たいだい、そこまで落ちる前に、原因を探る。そうすると、それなりに、自分に思い当たる要因があるように思う。いきなり、住まいも、仕事も失うには、・・・・。本人なりに覚悟があってのことだろう。覚悟すれば、確かに、ギリギリの所までは、・・・・。
ホームレスとかネットカフェ難民は、一日二日でもできそうにない。仕事ならするだろうが、半年とか1年長期間難民になるのは、不可能。
 持てるものと持たざるものとの差と行ってしまえばそれまで。
確かに、誰でも没落の危機は、あるだろうがそこまでは、と高をくくっているところがある。誰も好きこのんで、日雇いをしているわけではないだろう。そうならざるを得ない理由。それが描かれていなかった。簡単に言うと、「お金と仕事」がないということだろう。私らの世代には、いまの人が生活している困難がわかりにくいと言うことだろう。いや、一生わからないのだと思う。頭でいくらでも理解しても、身体とこころがわからない。
人は、どんなに理解しても、その人の苦しみ・苦労、困難を経験できない。「なるほど」とうなずいて、話を聞いて共感できれば、たいしたものだ。
 せめてもの救いは、そう言う人達の話を聞いてくれるところが、あったのが救い。
ひとりで苦しんだら、自殺への道になる。どんなに苦しくとも、仲間がいるだけで、痛みが半減するかもしれない。これを書いている私にも、虚しさがよぎってきました。なぜから、私には、難民の苦しみ・楽しみがわかりません。
 わからないのに、わかった顔をしているような・・・・。いや、私は、わかりません。ネット難民の苦悩は、・・・・。
  ひとそれぞれの人生。貧乏でも、精神的に豊かな人は、たくさん見てきました。あの「エホバ」の人達がそうです。私は、クリスチャンで無いから、信じていませんが、あの「エホバ」の人達を尊敬しています。彼らは、現在の生活に必要なだけ働き、後は、布教。布教こそ彼らの仕事。どの人見ても、綺麗な服装をして、落ち着いて、じっくり相手の話を聞き、・・・・・・。彼らの質素な生活には、頭が下がります。けど、彼らは、いつも幸せの中に・・・・。私は、「エホバ」には、なりませんが、彼らの心境は、学ぶべき物があると、いつも思っています。
   ネットカフェ難民の中に、そんな心境で生活している人・・・・。居るわけ無いでしょ。
                                          再見。