私が学校の先生になれたのも。
こうして、台湾で生活出来ることも、
今、日本語教師を目指していることも・・・・、
みんな奇跡です。
私は、勉強は、大嫌いでした。
遊ぶことだけ、熱心。
探求心は、ありましたが・・・、だから、と言って、勉強が出来たわけではありません。
当時は、公務員になる人は、居ない時代。
ました、教師は、尚更・・・・。いなかった。みんな民間企業に勤めた時代。
昭和50年の話。1975年。日本の経済がまだ「元気」な時代。
だから、教師の試験に、「奇跡的」に受かりました。
37年間、このおっちょこちょいが先生が務まったのも「生徒」に恵まれたから。
私の教えた生徒は、みんな良い奴。
どれぐらい教えたか、忘れました。私が以前に書いた教え子のことは、今ブログ少しずつ消されています。それは、それでしょうがありません。
ブログに個人のことを書く危険性を知らずに書いていました。
はっきり言って、今でもどれ程、「危険」か認識できていません。
みんなが言うから従っているだけ。家族も、親戚も、友達も。みんなが「松木先生のしていることは、危険です」と。
とくに。タモという友達の言うことは、私は、素直に聞きます。
麻雀とか、オートレースとかギャンブルしている人は、たまに「奇跡的」のように付いている時があります。まるで神様が自分に降りてきているような感じさえします。
そんな奇跡にあったから、ギャンブルが辞められない。そういう奇跡は、ない方が、真面目に生きるようです。
私は、人生で様々な危険なことに会いましたが、「奇跡的に生きて居ます。」一番は、雪の高速道路で、チエーンが外れ片側しかチェーンが無く走ったことあります。もうそれは、とてもとても生きた心地がしませんでした。どうにかインターチェンジに辿り着いたとき、車が1回転しました。すぐ後ろに車が来なかったから、事故になりませんでしたがスビンした瞬間、車の中の私を含めた人間は、もう死を覚悟しました。だって、ハンドルが全然聞かない状態。しかも1回転。幸い、雪の中に突っ込むだけで済みました。
現在生きて居るから、言えることです。あそこで死んでいれば・・・。そういう危険は、私の場合は、10年に一回ぐらいあります。きっと台湾生活の10年の中で・・・。
ま、余り迷惑掛けずに生きていきたいですが・・・。結果的に掛けてしまう場合もあるかもしれません。もちろん、もう、若くありませんから、それなりの良識。これが怪しいけど、その良識を持って生活していきたいと思います。
昔、ヒデとロザンナという歌手が「愛の奇跡」という歌を流行させました。ヒデさんは、私と同じ大学の先輩でした。歌を聴いてみます。
「さみしけ゜な雨に濡れた横顔に、 わかれても、私は、信じたい。いつかあなたに愛される奇跡」確かに学生時代に流行りました。愛にも奇跡は、あります。
いつか。そういう妄想しながら、ブログを更新しています。
ま、人生奇跡があった方が良いのか、ない方が良いのか、わかりません。
大切なことは、日々真面目に生きることでしょ。
「いつ勉強するのですか。」
「今でしょ。」
再見。
日本語の中で一番好きな日本語は、「お帰りなさい。」という言葉です。
この日本語は。台湾の人から、言われました。彼女は、八十三歳です。
この日本語を聞くと「ほっと」します。これは、外国にいる日本人は、みんな感じると思います。
彼女は、日本語を少し話すことが出来ます。同じ言葉を日本に帰ったとき、妻が言ってくれました。
台湾で言われた方が嬉しいのは、何故かわかりません。
おそらく、私の家が今は、台湾になりつつあるからだと思います。
日本人なのに、台湾が第二の故郷。第1の故郷は、生まれ故郷の葛飾。
そして、第二の故郷の故郷が台湾。
もちろん、
まだまだ、中国語は、上手ではありません。けど、故郷になりつつあると言うことは、どういうことでしょう。日本にいるより落ち着く。日本にいるよりも、安心、自由。
この自由が・・・・・・。ごめんなさい。けっして。○●さんが嫌いなわけではありません。
決して、日本が嫌いな訳ではありません。好きですけど・・・・、落ち着きません。
それは、日本には、私の自由が無いからです。ひとつひとつ決まり、規則があり窮屈なのです。私の特性は、自由。これが無くては、人間ではありません。人間も動物です。動物は、生きるために自由に生きています。自分の生きたいところを自分で決め、その結果、飢え死にするも仕方ありません。それは、その動物が選んだ道。
人間も同じ。仮に私が台湾で溺れ死んでも、私は、後悔しません。なぜなら、自分で選んだ道だから。そう言うものです。
大切なことは、自分の人生、生き方を自分で決める。決めたら、やり遂げようと進む。例えその道が茨の道でも・・・・。どんな苦労しようと自分で決めたことは、苦労でも何でもありません。かつて、一度だけ、日本で脱走しました。その時、自分の生きたいところへ自転車で約二時間掛けていきました。その二時間は、苦痛より楽しい。るんるん気分で進みました。帰りは、少し苦痛でした。なぜなら、脱走したことを咎められるから。
けど、それも覚悟して、脱走したのですから、堂々と叱られました。
だだ、お金を取り上げられたのは、参れました。自由は、大切ですが、お金がないと何も出来ません。台湾では、自由も、お金もそこそこあります。けど、本当にやりたいこと・・・、今、模索中です。
にほんごは、他の言語に比べ、綺麗な表現、上品なことば、外国語にない、独特の言語です。この美しい日本語を台湾人をはじめとする外国人に広めていきたいと思います。
では、さようなら。
再見。