台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

512 ブログ512  性格は、何番目かで規定される

2013-06-18 21:25:20 | 台湾

   私の時代は、兄弟数がとても多い。六人・八人は、ざらでした。戦後の高度成長を支えた世代。団塊の世代。私は、少しその後。今、65歳前後の方がその中心。
兄弟が多いと、自ずと、性格が規定された。私は、末っ子だから、要領よく兄貴たちのやることを見て育った。だから、へまは、あまりしない。先にやるのは、長男か次男。
その後、長女、三男、次女。最後に末っ子。だから、甘えるコツ、苦労せずに物事を成し遂げたような所がある。親は、私の家では、教育らしいことは、一切言わない。ほとんど長女・長男が家族を率い、それに従う。だから、いつも長男・長女は、大変だと思っていた。そう、私は、それに従えば良いだけ。その方が楽。人間言われる立場の方が気が楽。言う側は、責任が伴う。だから長男・長女は、しつかりものが多い。何でも慎重にやる性格。責任感もあり頼もしい。反面、慎重になりすぎて、優柔不断のような側面も。
 二番目、三番目は、もう長女・長男のやり方にミスがあれば、それに代わってリーダーシップを取ろうと・・・。ところがなかなか革命のようなことは、起きない。長男・長女のもつ人徳が二番目、三番目にはない。理屈は、立つが実践家には、なれない。いつも野党の存在。一方末っ子は、与党。兄貴、姉貴に従う。もちろん、母親を味方に付けている。これは、末っ子の特性。甘えん坊。自分勝手。兄弟の中で一番要領が良い。悧巧に立ち回る術を持って居る。だから、喧嘩は、余りしない。やると負けるから。負ける喧嘩は、しないのも末っ子。出来るだけ、平和主義に解決しょうとする。けど、時々そのずるさが兄貴達の「怒り」を買うこともある。その時は、容赦なくぶっとばされる。そりゃ半端でなく殴られる。もう血だらけ。男兄弟は、そんなもの。遠慮という物がない。長男・長女がいれば止めてくれただろうが・・・。大体、居ないときにやられる。もちろん、親父もお袋も。しょうがない。要領よく生きてきた罰と・・・・受け止め何発か殴られる。これも末っ子の宿命。家族の中にも、闘いがあったのです。当時は、昭和30年代。
  それでも末っ子は、得。何でも、最後だから。お袋が庇ってくれる。食べ物も少ないと、貰える。おれは、正に末っ子の典型。できるだけ、苦労せずに要領よく生きる。我が家では、男は、新聞配達。女は、家事。それをするのが当たり前。働くことは、皆同じように働かせられました。だから、我が家には、ニートは、絶対にいない。あり得ない。
なぜなら「働かざる者食うべからず」という厳しい掟が生きて居ましたから。
  俺は、長男や長女にはなれない。なぜなら、甘え上手で無責任だから。人との要領の良さ。舌先三寸だけで生きてきた。教師という仕事は、私には、天職。
 若い頃は,その仕事の重要性を認識していなかったが、年を取るにつれ、「教育」という仕事というのは、実に面白い。時に人の人生を変えるほどの力があるということを認識しています。
  読者であるあなたは、何番目ですか。その長所、短所を自己分析すると、また違う物が見えてくるかもしれません。
                                                再見。


511 ブログ 511 健康が一番。

2013-06-18 21:22:15 | 台湾

 ある人が、救急車で運ばれたと連絡が入った。それから何度も、電話したが、誰もでない。余り心配しない私でも、重大な病気なかと気を揉みました。結果的になんでもなかったようですが・・・。何にもないというのが一番。
 家族内に病人が出ると大変。まさに戦争。その家族の力だけでは残り超えられずに、周りの人の力も借りないと、乗り越えられないときもあります。私は、一度だけ。
家族内に病人が出て、周りの人の力を借りながら、病院から、学校へ通ったことがあります。そんなことは、たいしたことではない。大切なのは、その病人が直るかどうか。
そこが一番重要。どんなにお金が掛かろうと、どんなに苦労があろうと問題ではない。人の「生命」ほど大切な物は、ない。
誰もがわかって居る真理。人間の中で一番大切なのは「生命」「健康」。
命の問題に比べれば、他の問題は、二の次、三の次。
 たまたま救急車で運ばれた人がたいしたことで無かったから、こんなのんきにブログが書けるが・・。もし、命に万一のことがあれば、私の台湾生活も終了。それほど、生命の問題は、大切。すべての土台に「生命」があります。よく身体を壊しながら、仕事をさせていた会社・企業が新聞に載る。所謂過労死。とんでもない話。企業は、金儲けが大切。けど、人の命の方が何万倍、大切か。だから、人を大切にしなくなった来た日本の会社は、将来が危ない。「人は城 」人があって企業がある。このことを経営者は、頭に入れておいた方が良い。
 学校の「いじめ」問題も同じ。私は、イジメは生命の問題として、捉えています。だから、自分の教師としての力・時間を使って、子供らに、何度も「いじめ」がいけないか話し合わせました。しかし、たまにそれでもわからない生徒もが出る。その生徒にわからさせるのは、私ではなく、生徒の方が多かった。生徒が生徒を指導する。クラスの中に、一定の正義派と呼ばれる人間が出来ると、自然と「イジメ」問題は、自分達の一番重大かつ緊急の問題になります。教師だけが息巻いていると、時として、イジメは、地下に戻ります。教師の居ないところで行われることがある。そうならないためには、一定の正義が必要になります。現在、「正義」なんか問題出来るのは、学校ぐらい。世の中何が正義だかわからなくなってきています。
   社会の価値観が違っても一つだけ。正しいことは、「生命」を大切にしない社会・会社は、廃れる。今、日本が人間を大切にしている社会に動いているかどうか、見極めが難しいですが、基本は、いつも「生命」。
人間の健康を大切にしているかどうか。政治家がどういう方向に日本を引っ張って行っているかどうか見守りたい。そして、私たちは、いつも「生命」の大切さを敏感に感じる神経を持ち続けていかないと、いつの間にか、感覚が犯されたり、麻痺してしまうと、自分の家族の命が奪われかねない。環境、平和、労働環境常に感じ取らないと、いつの間にか、
身近な人の命とりに成りかねない。
                 再見。