歩くことは、人間の基本。少し早く起き、一時間位、歩くようにしている。歩いている間、頭が空になる。いろんなアイデア、工夫、勉強等々すべて忘れる。 いや、最初から空なのかもしれない。ただ、朝の空気は、冷たいから気持ちいい。それでも、結構汗をかく。身体に心地よい疲れ。当てはない。その時の気分。もう、何軒か知り合いも出来た。
商売している人は、早起き。食べ物や洋服等売っている人達は、もう朝市の準備。毎週土日やっている。雨でもやっているときがある。人でごった返す。
得意コースは、家からプールまでの三キロぐらい。歩いて、三十分ぐらい。そう、散歩の時は、少し速度が速い。その方が自分に負荷がかかり、運動になる。終わると、シャツが汗びっしょり。シャワーが堪えられない。台湾に来て、シャワーを浴びる習慣が身についた。すぐに、汗をかくから、身体を冷やすのと、綺麗にする。特に身体を冷やすのにちょうど良い。
体感的には、日中四十度近い 。朝だと、気温が低く、二十四・五度。朝と昼間では全然ちがう。何より違うのは、商売人の意気込み。いつも立ち寄る、肉やの夫婦、果物や、雑貨やいろいろ知り合いが出来た。商売の邪魔にならない限り相手してくれる。
それから、朝ご飯。朝は、ご飯を炊く。大体、卵かけご飯が多い。それに野菜。キャベツとタマネギをスライスして、マヨネーズで食べる。食べるのも早いが準備するのも早い。だいたい、十分。食べるのもそんなに時間掛からない。同じくらい。テレビも付けず、ひたすら、口に運ぶ。一人食事は、おいしくないと言うがもう慣れた。なんでも慣れれば、苦痛はない。それから、朝の中国語の勉強なのだが、図書館が混むので、食べたら出かける。そしてたら、もう図書館の前は、開店前のバチンコやさん状態。二・三十人並んでいる。私は、並んで入ったことはない。セブンでコヒーを飲んで、のんびり。コヒーが25
元。小さいのが日本円で、75円。モーニングサービスの店で、コヒー付きサンドイッチが七十元位。もちろん高い店も、安い店もあるが、百元払うことは、滅多にない。ただし、ここは、新北市。台北市内いけば、もっと物価は、高いかもしれない。日本でもそうだが、食べ物やさんの値段は、場所と雰囲気。スターバックスのモーニングもほぼ同様。大体、百元位。少し高め。それでも、朝から人が入っている。不思議。台湾の庶民より少し高級。中産階級が育つて居る証拠かな。ただ若い人が圧倒的。年寄りは、少ない。私は、スタバは、余り使わない。酒飲んだ帰りに、たまに使うことがあるが、いつも高いと思っている。
酒を飲むのも同様。この前の送別会。十二人で三七〇〇元。もし、この大枰林でやれば、
三〇〇〇元かもう少し安い。東京で仮にそばを食べたとする。銀座のそばと、葛飾の銀座では、値段、雰囲気がまるで違う。銀座で、1500円。葛飾で、1000円か850円。
生活するには、安いところで、人が良いところがいい。余り都会は、私には、合わない。当然かもしれない。所詮東京の田舎者。自分でもう東京で育ったことを忘れるほど、昔の話になってきている。今は、どこもかしこも、変貌が著しい。この前、与野に行ったら、さいたま新都心という駅が出来、全然わからなかった。いつも知っている家に行くのに、タクシーを使った。まるで、別人。同じ都市がいつのまにか、景色が変わり、・・・。
考えてみれば、もう、三十年。与野を離れて。三十年見なければ、何でも変る。
ところが、同じ埼玉でも、児玉郡は、全然変らない。前の風景と、現在の風景。多少道路が綺麗になったぐらい。私は、昔の人間になりつつあるのだと思う。景色は、変っても、人としての「こころ」は、変って欲しくない今日この頃。
再見。
治郎張は、日本語の先生になろうとしているでしょ、?
もちろん。先生になるために、今、中国語を自分で勉強しています。
ただ、まだまだ。聴不懂な事が多い。少しずつわかってくると思うけど、時間が掛かります。1行、2行ぐらいなら、聴いてわかることがありますが、たくさん続くと・・・。
「テンブトン」にすぐ成ります。
台湾人に日本語教えるのは、大変でしょう。大変だろうと思います。今、千恵さん、黄さん、りゅうさんに教えていますが、彼らは、ある程度日本語出来るレベルですから。
そのレベルの人には、そんなに中国語が無くても出来ますが、初心者は、ある程度、日本語と中国語で説明しないと、理解出来ません。最終的には、書いて、漢字で理解させます。
日本語と中国語の「漢字」の意味するところは、かなりにています。ほとんど同じものもたくさんあります。そういう、書いて、理解するやり方と、ボディラングエッジ 、後は、絵で理解させるとか。ま、やってみないと何とも・・・。
ま、そんなに急いでいませんから。まず、家庭教師ぐらいから始め、徐々に・・・。
進歩したら、日本語の学校の先生になればいいと考えて居ます。
それと、いつも言う言葉ですが、「こころ」というものは、みんな同じ。
喜怒哀楽。この感情は、一緒。褒められれば、嬉しい。けなされれば、頭に来る。
教師は、褒めることが大切。そりゃそうでしょ。
わたしも生徒の時代、たった一回褒められたことが、嬉しくて、勉強に励みました。
私の人生を変えた一言です。だから、あまり難しく考え居ません。その生徒生徒に応じて、教えていけば良いだけ。
それと、あまり焦っても、成果は、あがりません。すべて相手があることですから。
相手が、松木先生には、教わりたくないと思われたら、もう学習は、成り立ちません。
学習というのは、ある程度の信頼関係が無くては、成り立たない作業です。
わたしに生徒の信頼を得るだけの力が果たして、あるのか。
そこが問題です。そりゃ日本語は、少しは、教えられるでしょうが・・・。毎日毎日、たのしい授業が展開できるか。たのしいと学んでいる学生、生徒が思えば、そうすれば、学習の八割は、完成です。後は、その人が独りでに、学習するのをサポートするだけですから。勉強というのは、そういう構造持って居ます。本人が、自分で興味を持てば、もうしめたものです。後は、自然にその年齢、能力に応じて、進歩していきます。
日本語は、英語、中国語にない独特の表現があります。敬語とか、謙譲語とかたくさんあるけど、それも成れれば誰でもできる事。日本語に親しむ姿勢があれば、自ずと解決します。
私の、へたくそな中国語もいずれ、通じるときが来るから、心配していません。
何でも、最初を切り開くのは、大変。少しずつ少しずつ、目標に向かっていけば良いだけです。
そう言う日がきっと、信じて台湾生活を送っています。
思えば叶うという心境です。
再見。