私は、この人には、頭が上がらない。いつ、どのようにして、そうなったかは、内緒。
私が頭上がらない人は、父、母、兄貴、姉貴、そして、義理の父、とあの方。
付き合いはじめは、同等だったのに・・・・。いつの間にか力関係が働き、私が下、あの方が上。べつに、セックスしているわけではありません。人間の上下関係について行っているだけ。
いつのころか、忘れました。わたしがいっぱいあの人に心配掛けたから・・・・。
あの人は、身体・・・・、私ほど健康ではありません。わたしは、頭悪いけど、健康は、自信あります。これだけが取り柄。
あの方との付き合いは、もう三〇、40年近い。私の性格、私の性癖全部知って居ます。私が悪戯好き、私がお酒好き、私がギャンブル好き、私が女好き、私が妄想好き・・・・、私が嘘つき、私が詐欺師、わたしが誠実な生き方をしていないのも・・・・・。
育ちが違うから、私は、昔から楽天的に生きて居ました。心配は、私は、しない。
けど、あの方は、何でも心配しすぎるくらい心配する。私は、子供でないのに、子供以上に心配する。理由は、わたしは、もちろん知って居ます。子供大人だから。
人間の性格は、生まれてから変るものとかわたらないものがあります。
あのひとは、本来私とでなく・・・なければ、私と同じ、楽天的に生きて居たでしょう。
私の特技かもしれません。周りに心配掛ける。心配しなくても、わたしは、わたしは、私なりに判断しているのですが・・・・。その判断が、普通の人の判断と違うようです。
昔から、少しひねって物事を考えるというがあります。
私には、普通だと言うことも、他の人には、変だと思われているようです。もちろん、わたしは、私なりの計算が合ってやっているのですが・・・。
あの方があって、今日の自分があるのだと思っています。間抜けな人間には、しっかり者が付きものです。バランスがその方がよい。
どっちが幸せですか。こりゃ心配掛ける方でしょ。いつも自由に生きて居ます。
あの方も自由に現在は、生きて居ますが真面目。超が付くくらい真面目です。
私は、・・・・。真面目なのは、ギャンブルぐらい。後のことは、いい加減。
ギャンブル行く前日は、あらかじめ徹夜予想して行きます。もちろん、いくつかは、あります。当たることが目的ではなく、その瞬間、夢中になれるのが好きなだけ。ギャンブルとあの人と付き合いは、もちろん「あの方」の方が長い。それだけ苦労を掛けたと いうことですね。
もう、60を超えた人が「子供大人」などと自分を言っているようでは、この人は、成長しません。もちろん、大成も。
今日あるのは、あの方のお陰だと思っています。ありがとうござマス。
再見。
人生の幸せとは、人によって様々。絶対的な物ではなく、その人それぞれの価値観次第。
私の求めている幸せは、いつも一緒です。目標に向かい生きて居て、そのことが他人の幸せに繋がる。
お金、ものは、そこそこあればよしとする。二の次。
自分の目標・目的に向かって生きて居る状態が他人の幸せに繋がる。その他人の喜びが自分には、何倍かになって、帰ってくる。幸せな人は、顔が良い。その笑顔に現れている。いつも人と接する時、笑顔。ひとと接するのが楽しくて仕方がない。自然に顔が笑っている状態。そんな人間になりたいと思っています。
身近には、知恵さんという私の中国語の先生は、その段階に入っています。73歳。彼女は、リクスチャン。宗教は、持とうが持たないそれは、自由。しかし、彼女の周りの人のために、いつも音楽。ピアノを弾き、それによって多くの年寄りを幸せな気持ちにさせている。
そのことが彼女の生き甲斐。誇り。家族にも、友達にも恵まれ、精神的に自由に生きている。勉強したいことがたくさんあり、いつも忙しく、動き回っている。自分のためより、他人のために。
宮沢賢治。雨にも負けず。あの詞の世界に生きられたら幸せだと思う。
賢治という人間性が実によくでている。雨にも負けずを全文掲載します。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な身体をもち
欲はなく決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れずに
よく見聞きしわかり
そして忘れず 野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子どもあれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙をながし
寒さの夏はオロオロ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず
苦にもされず
そういう者に
私はなりたい
宮沢 賢治 1931/11/3
こういう生き方が幸せなのだと思う。私は、まだ六一歳。自分のハエを追っている段階。このレベルの人は、まだまだ。初心者。それから何段階か経て、他人のために生きる人間へ。
何年かかるか。私の目指している物が、かなり遠い目標に。ま、焦っても、始まらない。
人生の六号目にさしかかっている。じたばたしてもなにしても同じ。
もう、後悔する時間は、・・・。私らしく生きれば、生きて居ればいい、と最近は、思うようになりました。
再見。