台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

535 ブログ535 あなたは、未来を信じますか。

2013-06-27 20:56:52 | 台湾

私は、いつも単純に信じています。私の未来が幸せなのもとなることを・・・。
どうして、未来を信じられるのですか。それは。いつも人を信じて生きてきたから。
それだけです。私は、昔から、自分の好きなことしかしてきませんでした。それで、いろいろな者に恵まれて、現在も、未来も、永劫も、「しあわせ」に生きる自信があります。
どうして、そんなに単純に考えられるのですか。
世の中が悪くても、どんなに時代が変ってもね人の心は、変らないと信じらマス。
そう人間は、いつでも幸せを求めて生きてきました。
その結果、現在も。未来も、死んでからも・・・・。
私は、本当は、いつも単純に考えることが大好きです。
もしかしたら、日本に帰っても、台湾にいても、どこであるかわかりません。私の生きるところは、どこでも同じ。生活出来て、友たちが居て、仲間がいて、仕事が・・・、家族・・・わかりません、なにがあるか?
  :わたしが幸せに生きて居ることだけは、言えます。
今は、暇ですが、いずれ私なりの仕事が見つかります。もちろん、お金が手には入るかは、・・・。もう、六十一。生活より、生き甲斐、やりがいを求めて旅をしています。
このたびは、一生続きます。
 死ぬまで。
台湾にいる限り、このブログを書きます。
もし、・・・・。死んだら、掛けません。
 人は、どんなに時代が変っても、どんなに・・・・。
ひとのこころは、変りません。私の教え子達よ。
元気で生きて居ろ、まだどこかで会おう。
                                                再見。


534 ブログ534 今晩は、送別会。

2013-06-27 13:58:08 | 台湾

    この所の台湾の暑さは、もう夏。気温は、優に三十度を超え、これから更に、本格的な夏。暑さもさることながら、湿度。これが堪らない。ねっとり、身体に、暑さが堪える。
ま、自分で選んだ環境。我慢の一言。今日も本当は、プールでも行って、少し楽をと 思ったが少しは、「我慢」と思い、現在図書館へ。図書館は、別天地。涼しさもあるが、自分の部家と違い、広いから気持ちいい。相変わらず、若者は、勉強し、年寄りは、新聞を穴の空くほど読んでいる。日本にいた頃、わたしも新聞好きであったが、・・・。
日本の新聞を読んで幸せな気持ちになったことが一度もない。そりゃそうだ。世の中の大部分は、「不幸」な犯罪、出来事を取り上げているのだから。
 今日は、夜台湾に来た最初の頃の友建ちの送別会。こういう送別会を何回経験しただろうか。また、これからも経験することだろう。彼に対しては、日本で「頑張れ」の一言。
彼とは、国際学舎の頃に知り合い、現在は、連絡取り合わなくなったが、今度日本へ帰るとのこと。まだ、二十一歳。男では、一番若い知り合い。親の気持ちで、接していた。
  実に、自分の若い頃に似ている。ギャンブル好きで、すぐに塡る。熱中しやすい。もう、後先無く、一番にパチンコ屋へというタイプだと思う。日本にいた頃の親の苦労がわかる。 果たして、これからいかなる人生を送るか。台湾に来たことで、彼も、日本にいた頃よりは、無茶しないだろう。ギャンブルは、中途半端に接すると、「やけど」する。
本格的にやると「けがをする。」やらなけりゃいいじゃん。それが簡単に止められない。止められるくらいなら、台湾に来ていないだろう。
 いつも言うことだが「人間は、環境の動物」環境が人間を支配している。自分を含めた環境。自分の中に、もう「ギヤンブルは、しない」という意志があれば・・・。ところがなかなか止めることは、難しい。つい一回が、二回、・・・・。いつもの道へ。
自分の中に、「ギャンブル」をしない客観的な者がないと止められない。本人の意志力が試される。彼は、頭はかなり良い。人付き合いも・・・。そういう人の良さが彼の特性。では、意志力は、・・・・。はっきり言って、・・・・。ギヤンブル止めるのは、意志力。意志より、別のことに置き換えて、自分を納得させた方が止めやすいかも・・・。
例えば、子供が生まれるからとか。結婚するから。親が病気だから。
つまり、自分の意志ではなく、他律的に自分を納得させ、止める。これが一番いい。
自分だけの意志だで中々止まらない。一度飲んだ酒のおいしさみたいなもの。一度、その酒を飲むと、・・・・。後は、泥沼。
 もちろん、止める選択をしなくても、続けるというのも一方法。ただ、自分の限界を抑止ってつきあわないと、つい、ギャンブルの魔法に罹る。この魔法けっこうしぶとい。一生ついてまわる。やめるチャンスが来たのだから、それを上手に利用した方が賢い。
昔CMで「かっばえびせん」の止められないとまらないかっぱえびせんというがありました。それをギャンブルに置き換えても同じです。私は、このえびせんを何度も味わいましたから・・・。彼がいかに生きていくかは、彼次第。ギャンブルとどう向き合うかも、彼次第。ただ、はっきり言って、人生掛けるほどの値打ちは、ギャンブルには、ありませんもっと、高い目標を置くことによって、脱することが可能だと思う今日この頃
今日は、彼の送別会。したたか飲もうと思う。そして、彼の日本での活躍を祝おう。
                                          再見。


533 ブログ533 いじめ・等は、法律で取り締まれるか

2013-06-27 09:36:54 | 台湾

 いじめは、社会のどこに出もある。今回は、学校でのいじめを中心に規制を始めたようだ。
たしかに、「いじめ  」によって、生徒が死んだというニュースが後を絶たない。その親にして居見れば、自分の子供が死ぬ。絶対許せないという気持ちから生まれた物だろう。一方、いじめをする生徒自身は、なかなか変らない。なぜなら、彼の家庭も歪んでいるから。けど、法律で規制することによって、周りの大人(学校・相談員)が事の重大さを感じ、問題にしやすくなった。いじめの立証は、結構難しい。いじめられた居る生徒の話。周りの生徒の話。いじめている側の話を全部そろえ、ひとつひとつ事実を洗い出していく。その途中に、いじめている生徒の圧力もあることだろう。そう言ったことを押しのけ、解決の道へ導く。
学校で起きていることだから、学校で当事者間で解決することが望ましい。
 ところが、現実は、学校には、そんな指導能力のない学校も出ているように聞く。
法律で規制することで、指導力もない学校が立ち上がり指導しやすくなった。警察、裁判でいじめを問題にするようになったと言うこと。
 何故人は、いじめるのか。
それは、いろいろ理由があるだろうが、競争社会。一人一人が、互いに学力・能力等で競い合い、蹴落とす社会。勝ち組、負け組が生まれる。この社会構造の中でも、生徒は、一人一人を自分の物差しで、判断し、「弱い」ものに狙いを付け、集団でいじめる。
弱い者への理由は、何でも良い。体力がない、太ってる、人より足が遅い、・・・。
様々な理由を付け、いじめる。いじめそのものより、いじめたときの相手の反応が楽しいらしい。人間の残酷さ。人が苦しんでいるのを見て、楽しい。この感覚は、いじめる側特有の「歪んだ性格」。この歪みの元は、その家庭にある。だから、本当は、いじめをする側の家庭の裁判。どうして、こういう歪みが生まれたのか。両親は、どういう価値観で子育てしていたか。そこが確認されないと、なかなかその生徒の人格の歪みは、変らない。
   はっきり言って、どの家庭教育にも「歪み」は、ある。私の家にも、ある。子供の教育に放任しすぎ。私ら、子供にとっては、むしろ、それは、有り難かった。勉強という価値観を一度も、言わない。言えない家庭だった。勉強より、働け。この働くという、金
稼げと。そう言う意味では、はっきりしている。なまじ、勉強より、働け。金稼げ。そのことが一番大切だと教えた。ま、時代の差もあると思います。
 今回「いじめ防止法」によって、少しでも「いじめ」は、悪、犯罪なんだという意識を植え付け、いじめの無い社会が生まれることを祈る。 いじめは、悪。という法律で規定することで、学校の指導もしやすいようになったように思う。しかし、一歩間違えると、大変な人権問題を含んでいるという事を認識していく必要がある。いじめられた人間の人権、いじめている側の人権。それそれを秤に掛け、うまく扱わないと、学校が訴えられる時代が来ているように思います。先生方、ボランティアのみなさんがんばって、子供の人権を守ってください。
                                          再見。