昔、ヘルマンヘッセという作家の「車輪の下に」とか「青春は、美し」と言う作品を高校生の頃読んだことをふと思い出した。青年が夏休みに故郷に帰り、一夏を父母・弟、妹と過ごし、この中で初恋の彼女とも再会する。けど、恋は、実らず、青年は、夏が終わり、列車に乗り故郷の花火を見るというスドリーだったような気がします。青年が振られるというのは、ありがちですが、最後の花火のシーンがとても、強烈に印象が残ったからです。 私が読んだのは、高校二年生の頃だと想います。もうすでに、大学受験を意識しながら、一方で、勉強しなくては、一方では、勉強から逃げたいという一身から、本を読んだ覚えがあります。夏休みというのは、たくさん時間あるようで、結構、短い。計画的に学習しょうと図書館へ通ったのを覚えています。そんな中でのひとときの読書。
当時は、面白ければ何でも読みました。ただし、勉強の妨げになるので、二時間と決めて、・・・・。ところが面白くなると、つい、つい、小説の方へ。
何で本が好きになったのか、恐らく、受験勉強の反動のようなもの。本が好きなことは、好きでしたが、どこか、本質的に、真面目でない面があり、つい勉強から逃げていたように想います。そういう、読書の仕方は、私だけではないように想うのです。
それと、一番多感な時期。物事の感受性が鋭く、何でも見抜けたような、自信。
とにかくよくわからない、読書でした。五味川純平の「人間の条件」もこの時期の読書。
感動しました。わたしもあの主人公の「梶」のような正義と真実の愛に向かって生きるんだと、粋がっていました。
そう言う中で、ヘッセと出会い。まったく別の感性。純粋で、ピュァな・・・。
私のような煩悩の青春時代とは、まったく別の青春がそこにありました。面白いものです。
同じ時期を生きても、感じ方、物の見方がまるで違う。
私の生き様の中に、ヘッセのような感性は、ありませんが、いつもあこがれていました。不器用な青年。そこだけは、似ていたように想うが、後は、まったく別人。
どちらかというと、前に取り上げた黒岩重吾、ヤンソギルの方が会っているように思う。 今は、読書の時間は、ありません。たまに徒然草を読むだけ。一つしかない本だと結構、大切に読む物です。あと一ヶ月。8月いっぱい青春時代を思い出し、この徒然草を読み切りたい。
44年前には戻れませんが、台湾で感性だけは、純粋で豊かに生き抜いていきたい。
再見。
当時は、面白ければ何でも読みました。ただし、勉強の妨げになるので、二時間と決めて、・・・・。ところが面白くなると、つい、つい、小説の方へ。
何で本が好きになったのか、恐らく、受験勉強の反動のようなもの。本が好きなことは、好きでしたが、どこか、本質的に、真面目でない面があり、つい勉強から逃げていたように想います。そういう、読書の仕方は、私だけではないように想うのです。
それと、一番多感な時期。物事の感受性が鋭く、何でも見抜けたような、自信。
とにかくよくわからない、読書でした。五味川純平の「人間の条件」もこの時期の読書。
感動しました。わたしもあの主人公の「梶」のような正義と真実の愛に向かって生きるんだと、粋がっていました。
そう言う中で、ヘッセと出会い。まったく別の感性。純粋で、ピュァな・・・。
私のような煩悩の青春時代とは、まったく別の青春がそこにありました。面白いものです。
同じ時期を生きても、感じ方、物の見方がまるで違う。
私の生き様の中に、ヘッセのような感性は、ありませんが、いつもあこがれていました。不器用な青年。そこだけは、似ていたように想うが、後は、まったく別人。
どちらかというと、前に取り上げた黒岩重吾、ヤンソギルの方が会っているように思う。 今は、読書の時間は、ありません。たまに徒然草を読むだけ。一つしかない本だと結構、大切に読む物です。あと一ヶ月。8月いっぱい青春時代を思い出し、この徒然草を読み切りたい。
44年前には戻れませんが、台湾で感性だけは、純粋で豊かに生き抜いていきたい。
再見。