台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

656 ブログ656 夏のこの読書。

2013-08-01 21:44:58 | 台湾
昔、ヘルマンヘッセという作家の「車輪の下に」とか「青春は、美し」と言う作品を高校生の頃読んだことをふと思い出した。青年が夏休みに故郷に帰り、一夏を父母・弟、妹と過ごし、この中で初恋の彼女とも再会する。けど、恋は、実らず、青年は、夏が終わり、列車に乗り故郷の花火を見るというスドリーだったような気がします。青年が振られるというのは、ありがちですが、最後の花火のシーンがとても、強烈に印象が残ったからです。 私が読んだのは、高校二年生の頃だと想います。もうすでに、大学受験を意識しながら、一方で、勉強しなくては、一方では、勉強から逃げたいという一身から、本を読んだ覚えがあります。夏休みというのは、たくさん時間あるようで、結構、短い。計画的に学習しょうと図書館へ通ったのを覚えています。そんな中でのひとときの読書。
 当時は、面白ければ何でも読みました。ただし、勉強の妨げになるので、二時間と決めて、・・・・。ところが面白くなると、つい、つい、小説の方へ。
 何で本が好きになったのか、恐らく、受験勉強の反動のようなもの。本が好きなことは、好きでしたが、どこか、本質的に、真面目でない面があり、つい勉強から逃げていたように想います。そういう、読書の仕方は、私だけではないように想うのです。
 それと、一番多感な時期。物事の感受性が鋭く、何でも見抜けたような、自信。
とにかくよくわからない、読書でした。五味川純平の「人間の条件」もこの時期の読書。
感動しました。わたしもあの主人公の「梶」のような正義と真実の愛に向かって生きるんだと、粋がっていました。
 そう言う中で、ヘッセと出会い。まったく別の感性。純粋で、ピュァな・・・。
私のような煩悩の青春時代とは、まったく別の青春がそこにありました。面白いものです。
同じ時期を生きても、感じ方、物の見方がまるで違う。
 私の生き様の中に、ヘッセのような感性は、ありませんが、いつもあこがれていました。不器用な青年。そこだけは、似ていたように想うが、後は、まったく別人。
どちらかというと、前に取り上げた黒岩重吾、ヤンソギルの方が会っているように思う。 今は、読書の時間は、ありません。たまに徒然草を読むだけ。一つしかない本だと結構、大切に読む物です。あと一ヶ月。8月いっぱい青春時代を思い出し、この徒然草を読み切りたい。
 44年前には戻れませんが、台湾で感性だけは、純粋で豊かに生き抜いていきたい。
再見。

655ブログ655 働きすぎて、元気のない人へ

2013-08-01 15:43:18 | 台湾
人は、環境の動物です。いまのあなたの労働環境が厳しく、毎日残業しても、追いつかない、土・日も仕事に追いまくられているとしたら・・・・。
先の見通しがどうであるかにかかっています。あなたが仕事に慣れていないため、仕事量が増えるのた゛としたら、先輩に聞くのです。どのように乗り切ったのか?
そうでなく誰がやっても、同じ様な忙しさだとしたら、・・・。どこがで「息就く」所を見つけるのです。このまま仕事を続けていると、ノイローゼになりそう・・・。
先が見通せない。光がない状態。もし、それが何年続くのか?
教師の場合は、大体六年。二回りすると、どうにか忙しさにも成れ、行事も見通せるようになります。五年先、六年先のあなたが想像できますか?
それが出来るのだとしたら、それまで耐えるのです。耐えることで、忙しさにも成れ、自分の中に耐性が出来てきます。
 最初に言ったように、人間は、環境の動物です。覚悟していると、結構耐えられる物です。昔、歯医者に行き、歯を抜き、医者が一つだけ痛み止めをくれました。医者は、
「あなたが一番居たいと想ったとき、この薬を飲みなさい」と。
私は、居たいときがあったのですが、これが一番とは、わからず、もっと居たいときが来ると思い・・、とうとうその痛み止めは、飲まないで過ごしました。そんな物です。どれが一番辛い時か、その中にいる人には、わからないものです。
 後、仕事の愚痴を聞いてくれる友達が居るのですか?
自分を解放出来るときがあるのですか。
人は、仕事だけで生きて居るのでありません 。むしろ。仕事以外の楽しみを持つ方が仕事に言い影響があります。もし、そう言う楽しみがないとしたら、今、そのエネルギーがないでしょうが、友達と、一緒の所へ行って、自己を解放するのです。一回空っぽにすると・・・、自分が見えてくるときもあります。きっと、あなたは、自分が見えなくなっているのだと想います。人は、自分が見えない物です。どんなに自分を客観的に見る訓練しても・・・。本、映画、など見るエネルギーもない、・・・。
 ただ寝たい疲れを取りたい。明日の仕事のことで頭がいっぱい。かなり重症のようですね。もちろん、年休も取れないのでしょう。友達と、簡単な山登り、ハイキングに行くのです。もちろん、そこまでのエネルギーが大変だと想いますが・・・。
そして、周りの景色を見るのです。その景色の中に自分が癒されることもあります。
考えて解決は、しないと思います。絶対的な忙しさは、変わらないのですから・・・。
あなたの方が、その仕事の見方を変える以外方法は無さそうです。
 最悪、辞めることも覚悟して、全力を尽くすのです。もしかしたら、もう正社員の道がないかも・・・・。いろいろ事情があると想います。けど、覚悟しないでくずくず自分を縛っても決して良い結果が生まれません。どうにか忙しさの山が見えてくれば、この登山は、どうにか乗り越えられる物です。そこまでは、辛抱してください。
一つだけアドハイス。もう何もしたくない状態に入ったときは、病院へ。
すでに病気に罹っていると思うからです。心と身体のバランスほど、微妙な物は、ありません。現代の労働は、私には、わかりません。だから、無責任に聞こえたら、すいません。
私なりに精一杯の答えを出そうと努力しましたが・・・。
 最終的には、あなたの人生です。自分の人生の決定は、ご自分で決定したほうが良い結果が生まれることは確かです。もし、あなたが病んでいる時は、専門家の意見もよく聞いて決めてください。
再見。

654 ブログ654 この前無くしたカードが

2013-08-01 15:40:11 | 台湾
ブログのどこかで、カードを無くしたと話を書いた覚えがあります。そのカードが出てきたのです。しかも、よく買っていた八百屋さんが持って居て、私の顔をみるなり、「あなたのではないですか?」 余り嬉しかったので、八百屋のパイナップルを買ってしまった。
落として、一ヶ月ぐらい経つので諦めていました。お金は、1300元か1400元位な物です。ま、私にとっては、お金以上にその気持ちが嬉しい。もちろん、誰でも使えるカードです。台湾に来てから、何度か物を落とした。その度に、周りに救われた。
一番は、図書館で電子辞書を無くしたとき、これは、困った。現在私が持って居る物の中で二番目に高い。日本円で、四万円。見つからないときは、少しめげましたが。一週間後に出てきましたと連絡を貰った。その時も嬉しかったが・・・・。今回は、もっと嬉しい。外国に生活していると、一つの行為の重さを感じる。日本では何でもない言葉が、とても嬉しかったりする。例えば85歳のおばあさんに日本から、帰ったとき、「おかえりなさい」と言われた。なんて良い言葉でしょう。もちろん、わたしも「ただいま」。
 人というのは、ちょっとした心遣いがとても心をうきうきさせる物です。逆に少しの悪意で、めげてしまうものです。現代がどんなに便利になろうと、人としての「こころ」は、一緒です。
 ささやかな、心遣いや言葉によって癒される。
今、心を病む人が増えていると聞きます。初めは、誰でも耐えた居た仕事がある時から、もう耐えられなくなることもあります。これは、自分の中の心が耐えられなくなるからです。恐らく、健康なときは、何でもないことでも、病んで居るときは、とても苦痛に感じる物です。私も一度だけ、そういう心の病になりそうなときがありました。自分でも、危ないと想っていました。生きることより、死ぬことばかり考えて・・・・。
 今でこそ、笑い話のように話をしていますが、当時は、深刻でした。幸い、大事に至らず、無事乗り切ることが出来ました。人というのは、ちょっとしたきっかけで、何となく、バランスがくずれ、眠れなくなり・・・・隘路に塡ります。
 世の中に進歩しても、大切なことは、温かい言葉や励ましが自分の力になるものです。
ところが、病気になるとその言葉さえ、重荷に感じてしまう物です。単純に考えた方が幸せです。ところが、病気になると、その単純さがなくなり、裏を読むようになり・・・。
人の好意は、素直に受けよ。そして、ありがとうございましたと心から言う。
その気持ちは、世界共通。台湾の八百屋さんもとても喜んでくれました。
ありがとう。台湾の八百屋さん。
人の善意が信じられる世界に生きて居て、とても良かったと想う今日この頃です。
再見。