台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

694 ブログ694 戦争について

2013-08-15 21:19:43 | 台湾
今日は、終戦記念日。戦争が終わって、68年。
もちろん、わたしは、戦後の生まれですから戦争は、知りません。
「コンバット」と言う番組で初めて戦争を知りました。それから「人間の条件」
「私は、貝になりたい」など、ベトナム戦争の映画。
あくまで、文学や映像の世界で知って居るだけです。戦争の恐怖とか言われても想像しているに過ぎない。私の親父は、戦争に志願していったようです。食べる事が出来るという理由で。親父は、戦争の話を聞いても話したがらなかった。
 未だに世界は、平和とは言えない。エジプト、イラク、パレスシナ。朝鮮周辺。
戦争の種は、たくさんある。宗教対立、領土問題 、歴史的対立 きりがない。
まったく火種のない時は、ない。けど、世界大戦のような大規模なものは、ない。
けど、いつ起きても、不思議はない。
 けど、起きていないところは、世界の指導者も平和を望んでいるのだと思う。
けど、いつでも、戦争を起こす側は、自国の正義。平和を理由にしている。
誰も戦争を望んでいない。ところが、アメリカでは、ある一定の紛争が起きないと困るのです。武器製造が余る、有る一定消費してくれないと、武器会社が生産縮小しなくては・・・、アメリカがそれで戦争しかけている訳ではないが・・・・、様々な利害が起きている。オバマは、少なくとも、意図的には、戦争を起こそうとはしていないという点は、評価できます。
戦争と平和。人類の永遠のテーマ。誰もが平和を望んでいる。
これから、どんなに人口が増えようが、人類は、共存の道を探ることだろう。
いかにしたら、平和な社会が出来るのか。そして、戦争が起きようとしたら、我々は・・・。今は、戦前ではないから、治安維持法のような法律もない。日本は、言論が保証されている。だから、大きな声で叫ぼう「戦争、反対を」
 もうひとつ。言論の弾圧している国。その国家が由として、国として、国家を批判することを禁じている。この国は、世界二位の経済大国。果たして、今後も、言論を弾圧して生きていけるのか?この20・30年この体制で国家として、維持してきたことが不思議。
あの天安門事件以来・・・・。私には、いつ民衆が怒りだしても不思議でない状態がたくさんある。ま、この国の平和も大変だと思う。
 世界に220ヶ国ぐらいの国がある。それそれが繁栄と平和を維持するのは、たいへんだが、これだけは、まもろう。「PEACE」平和を
再見。
 

693 ブログ693 図書館でなくしたウォークマンが出てきました。

2013-08-15 02:52:31 | 台湾
図書館の人に、張り紙を頼みました。それは、駄目だと言われ、がったりしていたところ
ちゃんと、落とし物として、届けられていました。
私の作った張り紙は、以下のような物です。

 我的随身听 遺失
 我是日本人 。8月12号*(星期一)中午 在這裡不注意 我丢失随身听
我 台湾来的時候 我 用了 这個東西

如果 您検到了、請把它送到図書館柜台

 謝謝  您们

この中国語は漢字が正確に出ないため、適当になっています。あしからず。
ま、なんにしても、すばらしいことです。私は、何回か落とし物をしましたが、全部出てきたことが驚きです。師範大学では、電子辞書や学生カード。二つとも、1週間ぐらいで出てきました。今度で、3度目です。
新しい物を買えばいいやと思っていましたが・・・。
台湾の人は、正直です。おとしたら、必ず、届けることです
そうすると、おもいのほか良い結果が出ることもあります。
 人間に対する信頼を取り戻す出来事です。一度、ブログ電車に落ちた人間をみんなで救う事件がありましたよね。アレと同じです。落とした私にすれば、ほんとうに嬉しいものです。
 これから、物を落とさない生活・・・・。努力は、しますが、私のことだから、ちょっと厳しいかもしれません。絶対は、無いのが私。

人間を信頼出来る社会とは、すばらしい物です。こういう安心感こそ大切なのです。いまの日本には、

この安心が欠けているのかもしれません。

 とりあえず、有ったことだけ報告しておきます。
                 再見。

692 ブログ692 もったいない。再び引きこもり問題 2

2013-08-15 02:45:53 | 台湾
私は、もし、引きこもりが日本独特の物だとすると、日本の教育のどこかに、血管があるのではないかと思うのです。だって、一六〇万人、または、三百万と言ったら、人口の1%・・・。大企業なら、倒産しています。自分の作った製品の1%不備な製品をつくったとしたら・・・。人間を製品に例えるのは、失礼だとわかって居ます。例えですから・・・。
 では何故日本の多いのか。 私は、一つは、過保護。それと、間違えた個人主義。 親は、子供の自立のためとせっせせっせと保護し、・・・、一方子供は、俺の人生、俺の物、俺がどうしょうと俺の勝手という考え。
 欧米の個人主義とは、一線を画す。欧米は、自分の人生は、自分で決めると言うことを子供の時から、訓練してきました。だから、自分の人生に責任を持っています。
 日本の個人主義は、自分の人生に責任を持っていません。
そこが決定的な違い。前にオランダの教育の話をしました。ヨーロッパの個人主義は、自分勝手ではなく、自分の人生の選択は、自分で責任を持って行うというシステム。それが授業、カリキュラム、進学様々に働いています。
 日本の教育は、小・中高校・大学、就職あらゆる所に親の影か゛ちらちら。
それが子供の自立を遅らせているのでは・・・。貧しい時代は、家は、楽しいところではありません。むしろ、学校の方が楽しいところでした。ところが、いまや、家の中では、パソコン、ゲーム、ツウィター、スカイブ、様々な機械に囲まれ、楽しむ事が出来る。ゲームとか、パソコンも影響有ると思います。
ゲームの中では、人殺しは、当たり前。いくら殺しても、大丈夫。またスイッチ入れれば・・・。このゲーム感覚も影響しているように思う。日本ほど、ゲームが盛んな国は、ない。これが子供にどういう影響を与えているのか。私は、ゲームしないので、その感覚は、わかりません。
 簡単に言うと、人としての耐性が無くなっているように思うのです。自分の好きなことばかりをやり、嫌なことには、逃げる。これは、人間の必然。
誰でもそうです。けど、大人に成ったら、そうはいかない。嫌が上でも働かなくては、・・・。ところが、働かなくても食べていける。それは、親のすねをかじれるから。引きこもりの家を私は、知りませんが、多くは、経済的に豊かで、親は、高学歴と聞きます。親もどうして良いかわからない。子供の良いなり。
 ここに大きな欠陥が生じている。つまり、ふつう、巣立つはずの小鳥が、いつまでも、親から「えさ」をもらい、のうのうと生きて居る姿。自立という問題が置き去りにされている。一人前の人間になるという作業が無くなってしまった。
子供を一人前の人間にするのは、親と社会の務め。その機能が失われてしまった。

 いつ頃から、そうなったのか。恐らく、1980年代。昭和55年頃から。登校拒否とか校内暴力とか、学校が荒れ始めたのと、一緒ぐらいでは・・・。だから、引きこもりの最先端の人は、四十代後半ではないかと思うのです。
 どう解決するのか。まずは、教育のあり方、社会の役割、企業の役割 、みんな洗い出し。人が自立するためには、何が必要で、何がいらないのか、もう一度見直す必要があるように思います。
再見。
ところどころ不適切な表現をしています。決して、引きこもりを人と思っていないわけではありません。あしからず。

691 ブログ691 もったいない。再び引きこもり問題

2013-08-15 01:34:37 | 台湾
もったいないと言う言葉が世界語に。日本語の「もったいない」という日本語の節約の考えが世界の人に共感を得て使われている。これは、資源に対して行っているのだと思うのですが。
 私は、人間にも当てはまるのだと思います。
二十年も、30年もトンネルの中で生活。
しかも若いエネルギーが・・・・。何もせず、家の中で、パソコンや漫画相手に生活。
もし、それを生きるために向けたら、どれだけの事が出来るか?
お金にしたら、大変な金額。もちろん、引きこもりには、お金も大して興味もないのだとおもいます。けど、その人の人生が、トンネルの中で、自分の価値に気づいていないのでは、・・・。その人は、その人なりの値打ちがあります
1600000人の人が立ち上がり、何かすれば、世の中は、大きく変わる。
もちろん、その人達が、団結するには、とてももないエネルギーが必要です。
 引きこもり人が自分の可能性に気づき、立ち直れば、別の世界が作られます
このまま、ずっーとトンネルの中にいれば、埋もれます。
もちろん、立ちおなりには、もの凄い時間とエネルギーが必要でしょう。
 いつどのように立ちおなり回路にはいるのか、
どういう施設、体験が、本人達によいのか、まったくわかりません。
暗中模索。
 だって、いろんな人達が、苦労されていると思うのですが・・・。
一番は、本人の意志。
彼らがどうしたいのか? それが一番です。
親の意見、兄弟の意見もあるでしょうが、なんと言っても、本人がどう考えるのか?

自分の人生の設計をどうしたいのか?
それが始まり。それを見越せるようになれば、少しずつ少しずつ、「刺激」「練習」「訓練」を与えていく中で、自立への方向性が見えてくるかもしれません。
 人生は、「その人個人もの」のようですが 実は、之も命と同じ。
神様から、与えられたものです。借り物。七八十年借りているだけです。
いずれ社会に返さなくては、成らない者です。
 どのように返すかは、その人次第です。また、別の者に生まれ変わったときに、別の者として生きればいいのです。これは、別に宗教ではありません。私の考えです。
とにかく言いたいことは、引きこもりのひと。
あなたは、自分の人生どうしたいのですか
その一言に尽きます。
再見。