台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

659 ブログ659 コロッケパン

2013-08-02 21:55:57 | 台湾
私が小さい頃、コロッケパンが大好きでした。これにリンゴがあれば幸せでした。まだ、学校に上がるか、上がらないかの記憶です。つまり、いまから 55年前の記憶です。
当時コロッケは、五円。コッペパンは、十円から、七円。リンゴは、兄貴が八百屋さんから、貰った物です。つまり、当時私の幸せは、15円で幸福な気持ちにさせてくれました。
コッペパンに、コロッケを挟んで、ソースをたっぷり掛けて、口にほおばると・・・・・・・。口の中で、口が、舌がおいしいと叫ぶのです。そして、少しだけリンゴを入れるのです。リンゴのガリガリという音と、コロッケのさくさく。それと、パンの甘さとソースの甘辛さが絶妙に広がりました。
私の食べたものの中で一番おいしい食べ物でした。
 それを超えたのは、高校生時代に、Kと一緒に食べたハンバーク。
世の中にこんなにおいしい物があるとは・・・・・。
 私の中の貧しい記憶です。当時は、貧乏の最先端。
これ以上ないという貧乏生活でした。けど、不思議です。その貧乏時代でも、全然辛くなかったのです。どうしてでしょう、わかりません。
 現代で、貧乏は、・・・。そんなに嫌いではありません。本当に貧乏なのでしょうか?
生きる気になれば、仕事は、見つかると想うのです。もちろん、若い人の話。
歳寄りは、若い人が働いた後の残りで、充分。
まず、若者が仕事をとってください。給料安いもしれません。
それでも、月15万。月給貰えば生きては、いけます。
贅沢は、出来ません。もちろん、車は、贅沢品。自転車がいい。健康にも良いし、お金も自転車代で済みます。ガソリンもいらない。一番のエコ。
 人間は、贅沢さえしなければ、生きていけるのです
問題は、その時、何を希望として、生きるのか。
それが一番の問題。その希望があれば、多少の困難は、耐えられる物です。
 私は、たまたま、生まれた時が貧乏。現在は、普通の生活。贅沢は、出来ないが食べ物には、困らない生活です。
 私のように小さい頃、貧乏するとある程度の苦しいことは、耐えられます。
私は、頭は、良くないですが、口だけは、達者。身体だけは、丈夫に生まれました。
それは、親に感謝しています。身体の丈夫。心が丈夫。
これだよ。
 現代人に欠けているのは、心の健康。
病みやすい。おぼちゃま・おじょうさまに育った結果。
私が風邪引いたのは、一年に一回。正月に引きました。それ以来、風邪を引いたことは、ありません。健康ってありがたいものです
 コッペパンとコロッケとリンゴ。それにソース掛けて、今度日本に帰ったら、食べてみよう。絶対に。 再見。



658 ブログ 658 オートレース一般論

2013-08-02 16:50:24 | 台湾
私の長年の経験論です。一つは、初日は、地元の選手が勝つ事が多い。遠征選手は、これから、がんばればいいやと考えることが多い。それと、初日が一番荒れる。とんでもないのが一着。または、三着に考えられない人が入り、荒れる。オートレースで一番難しいのは、この三着を当てることです。
 二日目は、本当は、一着取るはずだった選手が一着。つまり、力を温存していた選手。
こういう選手は、必ず勝ちます。二日目は、初日ほど荒れません。
三日目は、また、少し荒れます。なせなら、一日目、二日目と頑張った選手が遠慮するから。
四日目は、準決戦があるので、いつ一般戦が固いときは、準決戦は、荒れることが多い。
後は、一般に固いことが多い。
最終日は、また荒れます。なぜなら、地元がかんばるか遠征が頑張るか。レースレースで違うから。一般的には、一杯勝った選手は、遠慮して貰う。そういう勝ちすぎた選手は、三着か、着外。
 優勝戦は、試走が物を言うことが多い。数字の良い人が来ることが多い。

 すべての日に言えることは、6レースと9レースは、とんでもない大穴が出ることが多い。
 これは、あくまで、一般論を言っているだけです。そのレースレースで、楽しめばいい。要は、五日間の物語の様な物です。強い選手が、いつも勝つとは限らない。船橋の永井選手が典型的な選手です。ま、この選手は、やれば強いのに、いつもグリップを開けるとは、限らない選手。選手それぞれの個性があります。それを理解するまで、相当授業料を払います。
 最近このオートレースのことを書くのは、余り良くないのではと想うようになりました。なぜなら、私のような依存症予備軍を作ることであって、何のプラスもないのでと。
たしかに、オートレースに興味のない人には、また書いてるのねぐらい。ま、その程度の物ですが、万一にそのブログがきっかけで、オートを始める人がいるとしたら、少し責任を感じます。病人が病人を増やすような物になるからです。もっと、ひとが読んだ後にしあわせになれるような記事をかけないものだろうかと思うようになってきた。オートは、単なるギャンブル。推理ゲームであり、遊びです。けど、お金を掛ければ、別の物へ変身します。それは、悪魔との取引の始まり。当たってもね当たらなくても、お金を掛けた時点から、ギャンブルへ変わります。
 もう一度言います。悪魔の取引です。余り深刻に考えると、何も書けなくなりそうです。
けど、推理する楽しさは、結構面白い。推理小説の犯人を当たるような物です。
 ただの親父の戯言として、おつきあいください。
再見。

657 ブログ657 京浜東北線で人々が

2013-08-02 16:42:18 | 台湾
もう一週間ぐらい前のニュースで、南浦和駅だったように想うのですが、乗客が電車とホームの開いたに挟まり、出られなくなッた事故。
そこにいた乗客がみんなで電車を横にして、助けたという話。
四十人ぐらいで、何十トンもある車両を動かし、客を救い出した。
今、日本は、他人のことは、ほおって置くことが多いという昨今。同じ人として、嬉しくなるニュース。世の中の新聞を読んで嬉しくなることがあまりない、今日。
一人の命をみんな自分のこととして受け取め助け合った。
こういう共同体が今日の社会にもあった。
 今、死を考えて居る人も多いと聞く。または、もう生きて居たくない・・・。
過労死・うつ・じさつ・どれも簡単にかたずけられない問題。
だからこそ、今社会の共同体が必要なのでないか。どうするの、それが難しい。
死を考えるのなら、その力を生きる方に向け方が良い誰でもそう思います。けど、当事者には、当事者の事情があると想うのです。それがなんだかわからないと、手が打てない。 一つだけ。あなたが命を落とすと、確実に悲しむ人が二人は、居ます。
まず、ご両親です。自分の命は、自分の物であっても、自分でどうしても良い物ではありません。神様からの預かり物です。とても大切な預かり物。次に命をつなぐまで、持ちこたえるべき物です。天寿といいます。
 とにかく、人を助けたとニュースは、嬉しい物です。一人でも生きたいという人が生きられる、しかも、みんなが助けた命。今度、その人が誰かを救うかもしれません。助けられた人が、今度は、助ける方になる社会がいい。
 どうも、日本のニュース、暗いニュースが多い中の、良い知らせ。
今、みんなゆとりを無くし、共同社会がくずれつつある。江戸時代だって、みんな助け合って生きて居ました。500年後の日本が、出来ないはずがないのだが・・・・。
便利社会の罪か。社会が便利になればなるほど、人間が、冷たくなっていって居るような感じがします。自分のことばかりに目を向け、お年寄りに席を譲る若者が今、日本にいますか。みんな携帯をいじって、人を見ず。
 けど、そんな日本ですが、いざ言うときは、みんな助け合うんだと言うことをこの事件は、教えてくれました。普段から、もっと、そう言うのがわかる社会の方が良いと想うが・・・。なかなか、みんな忙しいですから。
今高齢社会が来ています 。老人の孤独死・・・・。ま、増えることがあって減ることは、ない。仕方ないのだろうか。もっと、有効な共同社会は、できないものだろうか
再見。