台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

684 ブログ 684  外国で困ることは、

2013-08-12 19:18:28 | 台湾
これは、いろいろありますが、健康を害することです。
お腹が痛いとか、頭が痛い、風邪を引く、等々健康の問題は、やっかい。
一つは、保険がないこともあるが、それは、お金で解決できる。
もう一つは、心が不安になる。之ばかりは、耐えるしかない。
 耐えることは、得意だが、この下痢が脱肛へ移行するのは、避けなければならない。
日本で二回ほど、「痔」の手術したことがある。これは、もの凄くいたかった。
外国でこの手術をするわけには、いかない。
だから、健康一番。何が無くても、健康。
この所の暑さで、水分を取りすぎたようだ。私は便秘は、したことがないが、下痢は、年中。それが通常なら、問題ないが・・・。ある一定をこえると、脱肛へ。
 肛門が、簡単に戻らなくなる。日本では長い時間、掛けて風呂の中で戻していた。
戻るとすっきりする。ここには、風呂がない。シャワーのみ.仕方ないので、バケツの中に、お湯を入れ、風呂代わりに・・・・。
いまのところそこまでは成っていないが・・・。危ない。・・・・。
こんな汚い話を、ブログに書く人も居ない。俺らしいと言えば俺らしい。
 とくかく、身体と心を壊さないことが一番。失敗を気にせず、生きるに限る。
 すべてのことは、「時間とお金」
この二つに、解決を委ねるしかない。生活の細かいことに、注意を払いつつ、身体をこわさないように努力し、罹ったら、直るようにする以外無い。
 ま、基本的には、そう簡単に壊れないからだ。自分を信頼している。
脳天気に生活するに限る。細かいことは、気にせず・・・・。
 後二・三日この状態が続かないように、食べ物に細心の注意を払って生活。
それと、生活が慣れてきて、自分の身体を慢心する傾向にある。油断せず、・・・。
しばらくお酒も控えよう。回復するのに、三日。体中の毒素が出て行くまで・・・。
ま、何とかなるという自信だけは、ありますから
 すいませんね。汚い話で。
再見。

683 ブログ683 落語の世界の人物

2013-08-12 14:42:11 | 台湾
落語にもたくさんの人が出て来る。ご隠居、はっさん・くまさん…与太郎。
武士や町人も登場する。もちろん、しっかり者のかみさんも。
おなじみな登場人物。
 こういう長屋の風景とは、ひと味違う落語「浜野距きよ」という落語がある。
これは、親父が有名な彫物師の息子の話。
親父が亡くなり、2代目として、彫物師を継ぐ。けど、どうも作品がいただけない。もう誰も、彼の作品を買う人がいない。日々の生活に困る位貧乏生活を強いられる。
彼は、一生懸命に彫るが元来の不器用。とうとうみんなからもさじを投げられる。その彼の唯一良いところは、親孝行。親父が亡くなり、ただ一人の母親の面倒は、よく見るところ。
唯一の取引先の店へ自分の作品を納めにいく。その日の旦那は、かなり厳しくカレに当たる。「人というのは、自分の生活費を稼いでこそ、人となることが出来る。ところが、あなたは、彫物師として、決してうまいわけではない、つまり半人前以下。そんな半人前の人間は、生きて居る値打ちがない。いっそのこと、死んだらどうだろう。そうすれば、親父の名声も傷つけず、安心だ。今日の所は、二朱で買うが、もう今後は 、同情では、品物は、買わない。」
 そういわれ、家に帰った主人公は、母親にこの事を見破られる。そこで顛末を話す。
そうかい。そこまで御主人が言いなすった 。それなら、潔く、死にましょう。
わたしが介添えをします。そして、死ぬ準備が進む。そのなかで一つだけ頼みがあります。私にあなたの遺品と成る作品を一つ残してください。仏様が良いと気丈な母親は言い張る。わかりました、おっかさん、私の最後の作品を作ってみます。かれは、1週間飲まず食わず、作品を一心不乱に作り上げる。とうとう八日目に作品が完成する.それをお母さんに見せる。母親は、その作品を見て、この仏様をだんなの所へ持って伺いなさい。そして、この作品は、50両以下では渡しませんと言いなさい。
 旦那に見せると、お父さんの作品だと思い、親父の作品に、自分の銘を刻むとは、叱られる。これは、私が作り上げた物で・・。事の顛末を話す。家へ帰りなさい。もしかしたら、お母さんは、あなたの代わりに首をつって、あなたの変わりに亡くなっているかも・・・。その通り、母親は、首をつって、すでに、仏様になっていた。
それからは、人が変わったように、浜ののりきよは、彫物師として、作品を仕上げた。そして、有名な彫物師に。
 この物語のポイントは、生活費を稼がない人は、生きる値打ちがないと叱られる主人公。そして、それを聞いた母親が、息子に最後の生きる力を与えるところ。
 生で聞くと、しんみりし、心に響く落語。
どうして、母親は、死んだのか。疑問が残るが、人間死ぬ気になれば、何でも出来るという話になってしまうが・・・・。笑い話とは、まったく違う趣のある作品。
親は、子供のためならねいつでも死ねる覚悟は、持って居る。もし、私の身体が、子供、孫に必要なら、臓器を提供する覚悟・・・、いざとなると、びびるかな。
それしか選択の余地がないなら、・・・・。選ぶかもしれません。
 ひとは、死ぬ気になれば、もの凄いエネルギーを発揮します。世の中に死ぬことを考えて居る人。その源を逆のベクトルに向けては、いかかでしょう。                再見。 

682 ブログ 682 久しぶりに、朝を迎える。

2013-08-12 14:34:15 | 台湾
この所、夜は、ずっーと起きていて、朝寝る、所謂夜型人間になってしまって、余り良いと思っていないが・・・、直せずにいた。そこで、眠いのを我慢して、朝寝ずに、その日は、昨日は、一睡もせず、夜寝る。さすがに一睡もしないと、夜自然に寝る。そして、朝起き、少し散歩した。それだけで一日の値打ちが違う。
やはり、朝は、大切だ。身体がとても喜んでいるのがわかる。
仕事を持っている人が之に罹ると大変だろう。この睡眠障害は、・・・・。医者の薬で治すのかな ? 医者に罹ったことのない私には、わからない。日本では、これにならなかった。台湾生活で、・・・。ま、之で直ったわけではないが、これからの生活次第。
 それと、汗を散歩でかく。寝ているときも、相当の汗を流す。台湾に来て思うことは、自分は、汗かきだということ。寝て居るとき、一回目の睡眠、三時頃、私の着ているシャツは、もう汗びっしょり。次に・・・・・・。どれぐらい人は、汗をかくのか、個人差があるだろうが、何リットルは、かく。口に入れる水分は、ポカリ三本、ビール一本、お酒少々、それに食べ物に含まれている水分。四リットルぐらいか。汗は、その半分ぐらいか。人の身体が、水で出来て居るというのがよくわかる。あせかきは、汗かきなりの苦労があるのです。
 生活上で、私の使っているホットプレートがもう壊れた、買ったのが去年の9月。一年もしないのに、熱くならない。之も不自由。今まで、自炊していたのに、外食が増えそうだ。食べることは、めんどくさがらず、作っていたのに、また、買うしか無さそうでだ。
 いまの生活は、 不自由は、全くないが之といった規律がないので、自分が生活のリズムを崩すとグズグズになる。学校という所は、やはり有り難い、このリズムだけは、くずさないで生活出来る、自分の意志で、卒業したのだが・・・・。
人間の活動には、「核」が必要。仕事をしていれば「仕事」学校に行っていれば「勉強」私の核は「勉強」 。ところが、サボっても何しても、誰にも文句は、言われない。つまり自分次第。この自分が当てにならないから困った物。
 自分が頼りないと、・・・。生活の核がないのと同じ。  
こればかりは、自分がしっかりする意外に無さそう。
・・・・・・。答えが直ぐに言えない現状にあることは、確かだ。
 とりあえず図書館で、自分の学習スタイルをもう一度確立するところから始めるしかない。やれば、できると言う精神で・・・・。
 どうも今日は、切れが悪い。こんな日もあるさ。
はぎれのわるさゆえ、本日、図書館で、ウオークマンを無くしていまいました。
                     再見。