私は、生徒の成績を付ける側だった性もあるが、成績で人間を見たことがない。
中学校という段階もある、今は、勉強が好きでないだけ位に考えて居た。
本人が真剣にやれば、偏差値は、簡単に10位上がるのを知って居る。
だから、成績は、単なるその時の、一時点の点数に過ぎない。
ところが、親や本人の立場になれば、順位や通信簿が4か5になるかへらい違いらしい。これは、立場の違いで成績が、意味する物が違うだけ。
私は、自分のクラスの生徒に、自分が全力を尽くしたのなら、成績は、自ずと付いてくる、一つだけ、ごまかしやカンニングだけは、するなと言っていたように思う。
成績とは、生徒を苦しめる物だったのかもしれない。私は、いつも成績は、平均90以上は、5 90 ~80は、4 79 ~50 は、3 49 ~20 は、2 20以下は 1 。
ほとんどの生徒は、1は、貰わずに済む。特に学期末に1を付けると、高校行くときの内申書に1があると大変だと思い、特別な生徒だけ1。学年で、一人か二人。授業もテスト受けられず、評価不能の生徒。本当は、評価不能が正しいのだが ・・・。それだと、後の処理が難しくなるので、とりあえず、1という評価。
成績は、何を意味しているのか。中学校の勉強・テストは、基本的な問題を出題する。
もちろん、教科書の太字。私は、社会科だから、生徒には、覚える物が多いのだともう。暗記競争に成ってしまう。それが世の中でどれ程の意味を持っているのか?
だから、私は、学校の成績は、余り重視しない人間だった。だって、本人が頑張れば、数学・理科以外は、大体わかるものです。数学・理科は、暗記力より理解力。日本の学校は、テストが好きで、テストの成績・提出物・発言態度で成績を決める。一応、全部、数字化して、成績を付けていました。一番難しいのは、その境目の生徒の成績。5と4。3と4。
この二つは、私の場合は、多少甘めに付けていました。もちろん、他の先生とのバランス・整合性をみながら。
結論的に言うと、成績は、大学に入るまでの通過点。
むしろ、試験で出ない、積極性、発言力、リーダシップ。物事の処理の丁寧性。そういった事の方が世の中に出たときは、役立つように思う。試験という物を過大に評価しすぎる社会が生まれているように思います。テストで計れる、人間の能力は、しれた物です。
そんな知力を重視するより、協調性・忍耐力・精神力・指導性・責任感といった生きていく上で大切な力を伸ばした方が、社会には役立つ。今、会社の人事担当の方は、何を見て採用を決めているのか?
伺いたいものだ。
ひとつだけ。学校の成績ほど、当てにならない物は、ない。
これだけは、言えると思うのです。学校の成績が良くとも、人間として、大切な物が掛けている場合もあります。むしろ、成績が悪いけど、物の見方が、人間的であったり、人の痛みのわかる人間である場合の方が・・・・。
会社は、慈善事業をしているのでありません。利益を上げられる人間が必要なのです。
どういう人間が、利潤追求に向いているのですか。
私には、この答えわかりません。
人事担当の読者が居たら、教えてください。
再見。
中学校という段階もある、今は、勉強が好きでないだけ位に考えて居た。
本人が真剣にやれば、偏差値は、簡単に10位上がるのを知って居る。
だから、成績は、単なるその時の、一時点の点数に過ぎない。
ところが、親や本人の立場になれば、順位や通信簿が4か5になるかへらい違いらしい。これは、立場の違いで成績が、意味する物が違うだけ。
私は、自分のクラスの生徒に、自分が全力を尽くしたのなら、成績は、自ずと付いてくる、一つだけ、ごまかしやカンニングだけは、するなと言っていたように思う。
成績とは、生徒を苦しめる物だったのかもしれない。私は、いつも成績は、平均90以上は、5 90 ~80は、4 79 ~50 は、3 49 ~20 は、2 20以下は 1 。
ほとんどの生徒は、1は、貰わずに済む。特に学期末に1を付けると、高校行くときの内申書に1があると大変だと思い、特別な生徒だけ1。学年で、一人か二人。授業もテスト受けられず、評価不能の生徒。本当は、評価不能が正しいのだが ・・・。それだと、後の処理が難しくなるので、とりあえず、1という評価。
成績は、何を意味しているのか。中学校の勉強・テストは、基本的な問題を出題する。
もちろん、教科書の太字。私は、社会科だから、生徒には、覚える物が多いのだともう。暗記競争に成ってしまう。それが世の中でどれ程の意味を持っているのか?
だから、私は、学校の成績は、余り重視しない人間だった。だって、本人が頑張れば、数学・理科以外は、大体わかるものです。数学・理科は、暗記力より理解力。日本の学校は、テストが好きで、テストの成績・提出物・発言態度で成績を決める。一応、全部、数字化して、成績を付けていました。一番難しいのは、その境目の生徒の成績。5と4。3と4。
この二つは、私の場合は、多少甘めに付けていました。もちろん、他の先生とのバランス・整合性をみながら。
結論的に言うと、成績は、大学に入るまでの通過点。
むしろ、試験で出ない、積極性、発言力、リーダシップ。物事の処理の丁寧性。そういった事の方が世の中に出たときは、役立つように思う。試験という物を過大に評価しすぎる社会が生まれているように思います。テストで計れる、人間の能力は、しれた物です。
そんな知力を重視するより、協調性・忍耐力・精神力・指導性・責任感といった生きていく上で大切な力を伸ばした方が、社会には役立つ。今、会社の人事担当の方は、何を見て採用を決めているのか?
伺いたいものだ。
ひとつだけ。学校の成績ほど、当てにならない物は、ない。
これだけは、言えると思うのです。学校の成績が良くとも、人間として、大切な物が掛けている場合もあります。むしろ、成績が悪いけど、物の見方が、人間的であったり、人の痛みのわかる人間である場合の方が・・・・。
会社は、慈善事業をしているのでありません。利益を上げられる人間が必要なのです。
どういう人間が、利潤追求に向いているのですか。
私には、この答えわかりません。
人事担当の読者が居たら、教えてください。
再見。