台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

687 ブログ687 人は、何故いじめるのか? 2

2013-08-13 14:03:22 | 台湾
いじめる側にいじめられる生徒の痛みをどう理解させるか?
仮に、生徒がわからなくても、保護者だけには、最低わからせる必要がある。
そして、クラスの中で、「いじめ」は、犯罪である、悪であるという考えの定着。
なによりも、いじられている子のこころをクラス全体で守るという雰囲気づくり。
口で言うほど、実践は,簡単でない。何故から、クラスの力関係の分析が必要だから。
一歩間違えると、大変な事態を招く恐れがある。実践は、大胆にしかも緻密さ、綿密さが要求される。
 いじめる側の親、いじめている本人、その保護者の集まり。事実認定。質疑。
いじめている親の気持ち。いじめている側の気持ち。それぞれが理解され教師側の意図する方向に流れれば、もしかしたら、解決の糸口にたどりつく。
しかし、この後の学級での行動等を見守る。少しの変化も済みごさないようにしないと、今度いじめが起きるときは、もっと陰湿ないじめへ発展する可能性が多分にある。

 いじめる子供の問題は。果たして本人に責任は、あるのか?
能力・性格・それを問題にしたら、確かに、その子に幾分かの弱さ・甘さがあったとしても、それは、今回問題にしない。なぜなら、被害者だから。
この問題が解決した折に徐々に、その子の指導を開始した方が良さそうである。
今、いじめは、学校だけでなく、会社等の社会でも起きていると聞く。職場の同僚たちの間、上司と部下様々な形で起きているようです。
こういう場合、解決は、難しい。相手が大人に成ると、誰が指導するのか。それこそ先が見えない。
 私は、教師生活最後の10年。障害者教育に関わってきた。そこで目にするのは、一般生徒が障害者をからかうこと。バカにすること。それを他の先生に行っても、中々現実は改善しない。私が直接その生徒達にお願いして、「からかわれている生徒」の気持ちを代弁し、伝え理解して貰うように努めた。それでも、時々・・・,トラブルは、おこる。
スマップの「世界で一つだけの花」のようなみんなが違って、みんな自分の花を咲かせるだけに一生懸命生きる社会への転換。理想としか言いようがないが、その理想を失ったら、教育は、成り立たない。
 いじめの問題は、教師の体罰以上にむずかしい。おそらく、学校・社会がある限りなくならない問題かもしれない。永久の問題。人間の解放が進まない限り、延々と続くような気がする。残念ながら、解決の糸口が見えずいのが現実。
 けど、この社会から、「いじめ」を無くす努力をみんながしていけば・・・、いつかみんなが安心して、教育や会社勤めが出来る社会めざして・・・。
がんばりましょ。 私は、個人それぞれの違いを認め合う社会にならない限りいじめは、無くならない。、 再見。

686 ブログ686 人は、何故いじめるのか?

2013-08-13 13:55:53 | 台湾
人は、何故人をいじめるのか?

世の中で、昔から、いじめは、いけないと叫ばれている。けど、後を絶たない。
繰り返し、繰り返し学校では、いじめについて学習している。
 いじめに関して、関わる人間は、4種類。
1 いじめを受ける本人。 2 いじめをする側の人間  3 いじめを見ている人達
4 傍観者
松井秀喜の父親は、「いじめる人間には、絶対なるな。また、いじめられる人間にもなるな。」と諭したそうです。
 私は、小さい頃から、いじめる側の人間になったことがない。強いて上げれば、3が多いか。一度だけ、いじめを受けたことがある。そんなに長い期間では、無いので振り抜けた。
日本の教育では、競争教育が普通。一つは、成績のいいもの、スポーツの得意な者。
何らかの秀でたを物を持つ者が良いとされてきた。そして、それに併せて、教育も為されてきている。一人一人の個性は、その後に来るかもしれません。
本当は、一人一人の人格を大切にする教育。
これが学校教育の本来の目的。人格の完成。簡単には、いかない。だから、とりあえず、目に見える進学実績、部活動実績等に目が往ってしまう。個人の人格は、二の次に。

 ひとりひとりの人格は、みんな違う。当たり前。ところが、その当たり前のことがわからなくなる。人間の能力を勉強(成績)や運動だけでみれば、優劣は、明らか。
良く学校では、成績の順位を出す。その成績に一喜一憂する。この個人が、どういう所が伸びたとか、どう努力したかより、結果が重視される社会。人を測る物差しが、ひとつなら、もう優秀そうでない生徒の線引きは、簡単。

 こういう競争の中に生きる生徒は、どんな気持ちで、勉強しているのだろうか?
日々充実感もって、生活している生徒も多いでしょう。けど、どこかすさんだ気持ち、
やるせないストレスにさらされている生徒もいるのでしょう。
 本題の人は、何故人をいじめるのか。
いじめる側の話は、毎度同じ。いじめることが楽しい、面白い。相手の反応が楽しくて仕方ない。遊びの延長。いじめをする側は、多くは、支配者側。多数側。何人かで、ターゲットをいじめ抜く。その方法は、多様にあるようですが・・。
いじめることが楽しい。この感覚こそ。いじめが無くならない原因。
 一方、いじめられている本人は、誰にも相談できずに、悶々と苦しむ。親や教師に相談は、なかなか出来ずに・・・。そこでいじめは、深く潜入しながら、進行。
 本当は、3・4の中で、気づき、正義の行動が取れるクラスであれば、そこから、いじめ改善の行動が起こる。すこしではあるが、そういうクラス経営している先生もいらっしゃる。
 一番肝心な先生は、・・・。気づく先生なら、恐らく解決できるでしょう。
気づきもしない、知らないという先生は、その対策も、余り期待できない。いじめ問題は、最初に失敗すると、後手後手に回り、更に子供を傷つける。
 最初の一歩をどのように踏み込み、手を打つか。そこにかかっている。
教師の指導力が問われる。
     けど、口で言うほど簡単ではない。
                 ここまで。再見。           



685 ブログ685 人は、人によって支えられる。

2013-08-13 09:28:03 | 台湾
みんな、生きて居ると、めげるときがあります。いろいろ生活の嫌なこと、辛いことたくさんあります。そう言うとき、ご家族が居る方は、家族が救いになることもあります。
私は、現在台湾ですから、台湾人の二人の先生から、元気を頂いています。
一人は、りゅう先生。もう一人は、知恵先生。二人とも、とても良い人です。
共通するのは、とても真面目だと言うことです。
 
時々、私も生活の迷路にはいり、とぐろを巻いたような生活していると、まあまあ、しっかりしなさいと千恵さんは、笑いながら言います。千恵さんは、73歳。りゅうさんは、62歳。私の人生の先輩。
 私にとっては、友人であり、中国語の先生。そして、生活アドバイザー。
いろんな役割を果たしてくれます。お母さんの人は、子供がその役割をしてくれるのでないかと思います。母親にとって、子供は、一番大切な人ですが、その笑顔や、行動が明日のエネルギー源になっている方も多いのでは。
本当は、若い四十代ぐらいのね若々しい方が良いのですが、そんな贅沢は、いえません。神様が、私の台湾生活のアドバイザーを送り込んでくれたのだと感謝しています。
これからもいろんな出会いがあることだろうが、この二人に勝る人は、なかなか登場しない。りゅうさんとは、まもなく一年。千恵さんとは、10ヶ月になる。
 学校でたまに生徒が先生お腹が痛いと言うとき、生徒のお腹に手を当てながら、どうしてお腹が居たのか聞いてあげることがある。そうすると、家庭の団らんが無い様子がよくわかる。十分も聞いている打ちに、生徒は、元気を取り戻していくのがわかる。要は、心の中に、すこし隙間ができて、甘えたかったのだろう。休ませて居る間に、元気を取り戻し、授業に行くと言い出した。行っておいで、と送り出す。そこには、先ほどの不安も消えたいつものAに戻っている。
 わたしは、人生の中で、めげそうなとき、元気の無いとき、一番元気を貰うのは、やはり仲間や家族。これなくして、人生は、渡れない。苦しみをくれるのも人間なら、喜びをくれるのも人です。人は、人によって癒される 。
 人間の力は、とても偉大です。元気さえ取り戻せば、いつもの生活を復活出来るのですから。

さまざまなひとの力を借りながら、人として、生かされている自分。周りの支えがあって、
今日の生活が成り立っていることを感じるこの頃です。日本ではいろいろ辛い人も居ると思いますが、
そのトンネルは、人生の一瞬です。 早く元気な生活に戻れるように祈っています。
                           再見。