台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

723 ブログ723 いろんな幸せがある。

2013-08-22 12:54:01 | 台湾
私は、その人の人生が終わったとき、幸せかどうか、わかるとと思っていましたが・・・・。私の知って居る人の中で人生を、終えたのは、親父、お袋、義理の母、息子。
彼らは、私の見る限り、そこそこ幸せでした。自分のしたいこと、行きたいところ、していたように思います。だから、合格点ではないか。
 息子については、六歳という年齢。これが残念ですが、今となっては、宿命、寿命と考え、諦めるしか有りません。彼が幸せだったかどうか、それは、あまりにも小さいのでねわかりません。
 人は、自分の運命を選んでは、生まれることは、できません。もしかしたら、障害者として、生まれることもあります。目が不自由、脳の病気、血液の病気さまざま。
大学病院に行くと、様々な運命と闘って生きていらっしゃる方がたくさんいます。そう言う人には、「しあわせ」は、ないのか?
 私は、どうも常識的な物差しに、囚われていました。身体が不自由でも、幸せは、有ります。もちろん、たくさんの方の支援を貰いながらですが・・。身体の不自由な人に自立しろと言うのは、無茶です。自分の出来る範囲の行動を超えています。自分のベストを尽くして生きればいいのでは・・・。もちろん、客観的に「しあわせ」かどうか?
 どうも、幸せというのは、主観的な問題なのではないか。ビンボウでも、明るく楽しく家族で暮らしている方は、たくさんいる。その人は、その人なりに精一杯生きても、貧乏からは、逃れられないこともある。他の人から見て、大変と思えることも、本人は、至って、「しあわせ」なのかもしれない。
私は、幸せ をいくつか定義しました。
一つ、他人に役立つ仕事を持つ
二つ 仲間がいる
三つ 経済的に困らない。
四つ 家族が居る
五つ 夢や計画を持って居る。
 いろいろ定義しましたが、どれも当たって居るようで当たって居ないような気がしてきました。昔のブログいくつか読みました。結構、ブログの中で「幸せ論」をたくさん述べています。 頭でっかちなだけのような気がします。もっと単純で言いように思う。
生きる上でのベストを尽くせばいいのでは・・・。どんなにベストを尽くしても、病気は、直らないことも・・。直らない人は、不幸ですか?健康でない人は、幸せには、成れませんか?
病気でなくなった方、そう言う人も、その死を迎える前までは、幸せだったのではないか。それが普通人より短いというだけ。 寿命は、選べないのですから・・・。
 自分の「精一杯の生」をぶつけて生きて、仮に六歳。十五歳。二五歳。親にしてみれば、とてもいたたまれませんが、その子、その人なりの幸せは、有ったのではないか?
 人生という物差しが、どうも一般論に偏りすぎていたように思います。
いろんな幸せ論がもっとあって言いように思いました。
再見。

722 ブログ722  今、ラジオは、今?

2013-08-22 12:49:47 | 台湾
「松伸 」という番組がなぜ? すきなのか
最近わかったのですが、どうも高校生の頃聞いた、「深夜放送」に似ているからだと思いました。深夜放送では、様々な本音が飛び交う。それが実に気持ちいい。居ている瞬間、瞬間が「わくわく」する。
 特に私が好きだったのは、「谷村新司」の青春大通りが大好きでした。
読者の悩みに、谷村が答える。実に楽しい番組でした。夜中の二時位まで、聞いていました。それと、同様な感覚が、「松伸」には、あるのです。
テレビだけど、ラジオのような軽快さ・何の規制もなく話す二人。
聞いているだけで楽しくなる、二人の感性の違い。
ま。天才ではないでしょうが、それなりの笑いのコツを知っている二人。二人とも、遠慮無く物を言う。松本は、伸助に気は、使っていますが・・・。ま、それも彼の味。
 話が飛びますが、今深夜放送というのは、流行ってるのか。
もういつの頃からか、まったく聞かない。ラジオは、たまに車に乗ったとき・・・。
永六輔のラジオ。小沢昭一的こころ。懐かしい番組。ラジオは、私の生活の中で、全くない。大学、入った頃から、無くなったようだ。
 ラジオは、テレビにない良さがある。それは、目が奪われないだけ、他のことをしていても、聞くことが出来る。昔。有る先生は。学年会の時、ラジオ聞きながら会議に参加していた。後で、確認したところ、まったく聞いていないことがわかった。こういう人も、学校の先生でした。私のレベルではない。
携帯用のラジオをいつも聞いて、通勤している先生もしました。何聞いても、知って居る博学。ラジオのニュースいつも聞いて・・・。若い頃は、深夜番組全盛期。ついでにラジオ講座も。かなり無理して聞いていました。余り好きでないが、・・・。効果は、その人によって・・・。私は、時間を縛られることが好きでなかったから、余り合わなかった。
受験勉強って、一つの技術。コツをつかむまで、・・・・。ラジオでは、私は、コツをつかめませんでした。結局駄目でした。
 テレビのない時代は、ラジオで,寄席を聞いていました。大学生の頃、落語は、ほとんどラジオ。生の話を聞くより、ラジオの録音が多かった。大学生の頃は、まだラジオ聞いていた。教師生活では、・・・・。そこから・・・。そして、車通勤になり、車の中で・・・。もう車も処分。日本に帰っても、自分の足がない。とても不自由。
ラジオは、いつまでも 残るのだろう。今、視聴者は、どれぐらい居るのか。
昔に比べ。減ったことだろう。けど、いつまでも残り続けて欲しい。
 来示独特の語りも好きでした。城卓也のジェトストリーム。古いですね。

                           再見。

721 ブログ721 人は、いつ苦労するのが良いのか?

2013-08-22 08:35:01 | 台湾
人生八十年時代が来ているようです。大体三万日。平均寿命が伸びることが幸せか、わかりません。人生でと語かで苦しい時期というのが人生の終わるときにわかると思うのですが・・・。私は、昔からの貧乏生活が染みついています。子供の頃・・・。同級生と話をしても、お前の話、古いんじゃと言われました。
けど、私ら葛飾では当たり前の生活。子供は、小さい頃から働いていました。
私の地域が特別貧しかったのかもしれません。葛飾・足立・江戸川・荒川 というと、東京でも、下町の下町。貧乏の最先端。
 私は、今台風が来ているので余計に思う。台風が来ると、学校は、休みになることがあります。けど、新聞配達には、当時休みは、ありません。よく兄貴達もね私も耐えられたと思うのです。三時には、販売店へ行く。之さえ出来れば、後は、チラシを入れ、配達するだけ。慣れれば誰でも出来ます。 ただし、起きられれば野話。起きる作業が一番難しい。三時に新聞店へ行く。之さえ出来れば・・・。
 三万日生きるとして、いつ苦労した方が良いのか。
若いときの方が楽かもしれません。それからは、わたしには、苦労と呼べるようなことは、ありません。自分の好きなことをして生活していましたから。現在も同様。
学生時代も、常にアルバイトしていましたから、お金に不自由しませんでした。学生時代の費用は、学費を含めて、自分で賄うことが出来ました。初年度の払い込み24万円だけ親から借りました。最初の冬のボーナスで返しました。

 大体苦労というのは、何か。よくわかりません。だって、生きること自体苦労と言えば苦労。「苦労」とは、本人の覚悟の無いまま、精神的、肉体的負担が掛かること。自覚すれば耐えられることは。苦労とは、言わないのでは・・・・。
ただ一つ。今日のように、いつ首になるかわからないのは、嫌。これは、不安です。
この不安の中で生きるのは、辛いかもしれません。 私は、いつもじん゛いの最悪ほ想定して生きて居ました。教師もくびになる個とも時として、覚悟。もちろん、自分からは、絶対に言い出しませんが・・・・。
 最悪を想定しても仕事のない生活は、耐えにくいかもしれません。
自分が社会から必要とされていないのではないかという不安におびえます。
 その不安とかおびえと闘うのは、誰も得意な人居ません。もし、いたとしたら、その人は、いつも最悪の事態を覚悟して生きて居る人です
 失業して、仕事が見つからず・・・、最悪、しばらく生活保護で゛・・・。
そんな風に見える人は、最悪の事態はね避けられる物です。避けられない人は、その覚悟もなく、 そういう生活に入り、苦しむ・・・・。
どうも話の調子が暗い。ま、どんな苦労も俺に掛かってこい、おれがやっつけてやるぐらいの気概があれば何とかなる物です。
 私もその覚悟必要かもしれません。それは、その時。
                             再見。

720 ブログ720   「時間よとまれ」

2013-08-22 08:30:36 | 台湾
渥美清の主演しているドラマを偶然、ユーチーフで見つけました。
とても、温かくなるドラマ。
 刑事か時効直前の犯人を追うため、東京へ出張に。もちろん、刑事は、渥美清・
大分県の田舎刑事。そして、少しずつ犯人を追い詰めていく。昭和40年前後の時代背景だと思います。まだ、虎ノ門の警視庁がありましたから・・・。
犯人役は、小林圭樹。そして、脇役として、市原悦子、高橋洋子。
殺人の時効が、海外に行った時間だけ、停止すると言うのがみそ。
今は、殺人の時効は、書く成ったように思いますが、当時は、15年。
犯人を15年追い続ける刑事の執念と何とか逃げようとする犯人。
この二人の駆け引きが見所。
 わたしは、今までもたくさんのドラマを見てきました。昭和41年というと、高校二年生。一番多感で、何でも一生懸命にしていた頃。
私が中学生の頃見た「人間の条件」というテレビドラマは、実にすばらしかった。
1時間が、あっという間に過ぎていきました。ドラマを見た後、ある種の爽快感。
心のどこかに残るドラマが良い。
 このシリーズの「泣いてたまるか」は、大好きでした。青島幸夫、渥美清、など有名な俳優が登場しました。
渥美清は、浅草の劇場からスタート。トリップ小屋のコントを演じて日々の生活を得ていたようです。それから、テレビの時代へ。コント時代に「結核」を患い、二・三年療養していたようです。それが、今日の彼の土台を築く。酒もたばこもやらず、役者一筋に。役者になる前は、チンピラのようだったと語っています。
 病気をしたことが、人生の土台を作る。黒岩重吾もそうです。渥美清さんも、病気から、役者一筋に。
 渥美清を知ったのは、テレビだと思うのです。谷幹一とか古今亭志ん朝とかなんか、お昼にコント番組で知りました。、寅さんの前のテレビも見ていました。
これからもいろいろたくさん役者がでてくるけど、渥美さんほど、あじのある俳優さんは、少ない。西田敏行さんにも同じ物を感じますが・・・。どうも喜劇の臭いが強すぎるように思います。
 演じる人間もありますが、脚本がしっかりしていると映画・ドラマは、面白い。
今新しい、小説家が登場しています。本で読むと面白いのに、映画やテレビになるとつまらないという物もあります。是非これからも、たくさん言いドラマをみたいものだ。
「時間よ、とまれ」
再見。