自燈明・法燈明の考察

ネットに見える今の創価学会の人達

 今日も仕事が終わりました。
 まだ私の職場は基本的にテレワークですが、自宅に居ようと職場に居ようと、仕事で受けるストレスというのは、あまり変わりないですね。唯一違うのは、契約上の指揮監督者の目が無いという事ですが、そんな監督者の目があろうが無かろうが、やらなくてはいけない仕事の質は何も変わりないですから、疲れる事には変わりありません。

 さて今朝方にツイッターを見ると、ある人から私の知人の話に関する呟きに、返信が来てました。

この人のアカウントは以下の人です。
(望月 宏章)



 まあ状況だけ少し紹介すると、実は私には高校時代からの友人がいて、彼は男子部で副本部長をしていまして、壮年部に移行した後、地区部長を1年ほどやってから支部長になっていました。

 昨年末にちょっと会い、飲みながら話を聞いた処、何でも支部の壮年部の中で「安保法制」の事で納得できない人が居て、その質問内容を聞いても彼は全うに答える事が出来なかったので、「学会本部に聞いてみるよ」という事で信濃町に電話をしたそうです。電話番号なんて公開されているので、そこに連絡し、当該部署に繋いでもらったとの事ですが、そこで対応に出た壮年職員に質問をしたところ、かなり横柄な応対され、「あとで回答するから」という事で電話を一方的に切られたそうです。

「斉藤さ、創価学会って一番会員が大事なのではないか?でもあの対応は何なんだよ!それに三か月も経つのに返事も来ないんだぜ」

 まあ憤慨するのも当たり前かと思いましたが、その時彼には「信濃町とはそんなもんだろ」と言って宥めました。まあ彼もそうですが、私も長年、本部運営創価班をしていましたので、信濃町の状況は理解しています。この時はそれよりも私は彼に「それより何故、お前は安保法制の問題点を知らないんだ?」と詰め寄りました。しかし彼は公明党を信じ切っている事から、問題の本質すら理解しておらず、私はそちらの事について、この時は彼に指摘をしました。

 とまあ、こんな事があったので、そんな事を呟いたところ、以下の内容を望月氏は返信してきたのです。

「斎藤さん、安保法制の勉強不足が丸わかりですよ(笑)
知人の支部長とやらも。
信濃町に電話って、どこにかけたんですかね(笑)
嘘はダメですよ嘘は。」

 私のツイートには、安保法制に問題について一切触れておらず、それよりも信濃町本部の会員に対する態度を指摘した内容であったのに、何故か私の「安保法制の勉強不足」という事を断言してきたものだと思いました。

 この御仁、文書すら読み取る力が無いのか?

 正直、これを読んだ時にはその様に思ったのです。また「信濃町の電話って」と質問してくるのも可笑しな話で、ネットでググれば誰でもわかる事ではないでしょうか。にも拘わらず彼は言います。

 「嘘はダメですよ嘘は。」

 要は、もうこの時点で彼の姿勢は、私の事をラベリングしてこき下ろす事を考えているのが明白な状況だと感じました。

◆ラベリングについて
 ちょっと話が逸れるのですが、私が過去に広宣部をやっていた頃、対論という事で法華講や顕正会とよく丁々発止していましたが、そもそも創価学会で行う「対論」には目的があって、それは会話する内容はともかく、見た目として「創価学会側が勝った!」と見せる事が大事なのです。だから一番簡単なのは、先方に対して乗っけからラベリングして扱き下ろす。すると大抵、相手は感情的になるので、ひたすら自分が上の立場だと見せながら、ひたすら本筋とは関係ない論を畳みかけるという手法がありました。

 過去にあった「小樽問答」というのも、池田氏が司会でしたが、大枠この技法を使っていました。

 望月氏のプロフィールを見ると「創価班24期」と書いていますので、そういった技法を知らずの内に身に着けているのかもしれませんが、あまりに礼を失しているとしか思えません。

 もうこの後のやりとりも、酷いもので話がかみ合うか噛み合わないか以前に、ひたすらラベリングをかぶせてくるだけで、何ら会話にもなっていません。その事にアホラシクなり、以降の内容なんて書く気にもなりません。恐らくこの望月氏は、語り口としてひたすら「上から目線」でかぶせる事で、自分達の仲間内で「ほら、アンチなんて大した事ないんだ!」という姿を見せたいのでしょう。

 こんなのに付き合うのも、時間の無駄というものです。

◆近年の創価学会の活動家のスタンス(ネット上の芳ばしい人達)
 これを語るには、まずTwitterの特徴を考えなければなりません。
 ツィッターとは実に手軽なもので、140文字という制限の中で言葉を要約し、自分の想いを公表するツールです。しかしここには140文字の制限があるので、簡単に言えば「深い議論」というのには向かないツールです。
 しかしこれは逆に要約した言葉を使うので、言葉の真意、その言葉にある内容や内在する問題など、要は深い事を論及するには極めて不適切な場所でもあるのです。しかし一方で、「それなりの単語」を羅列できれば、如何にも自分がその言葉を理解していると粉飾できる場でもあるのです。

 望月氏の言葉を借りれば、例えば以下の言葉。
 ・安保法制
 ・(学会が行う)査問
 ・王仏冥合
 ・政教分離 等。
 これらの単語を並べる事は出来ますが、その意味する処の元ネタ、そして事実関係や内容、それらの現状、そして問題点など、彼は一切、語る事は出来ないでしょう。
 彼がひたすら「ラベリング」を繰り返すのも、自分自身がそういった事について、深く議論するだけの元ネタが自分の中に無いという事の表れでもあります。

 私自身、こういった教義や歴史、様々な事を述べる場合には、やはりブログなりホームページといった場所を必要としています。そもそも言葉とは「真意を伝える事が難しい媒体」でもありますので、一つの事を書くにも、多角的な話を用いる必要があり、単に140文字ではそんな事を書き顕せるはずがありません。

 でもまあ、浅く狭い知識に満足している今の創価学会の活動家(特にネットで言葉を散らかしている人達)にとっては、都合の良い媒体である事は間違いありませんね。だって単語を羅列して「逃げるな」「嘘つき」など、あとは相手を蔑む言葉を出して居れば、どうにか「形」を作る事が出来ますからね。

 このブログ記事を望月氏がもし読んで、反論したいのであれば、是非ともメールでご意見を賜りたいものですが、私が知る限り、それほど「骨のある論客」というのは、残念ながらネット上の創価学会のスピーカーとなる活動家にはいませんね。

 だからこんな人達を相手にするだけ、私は時間の無駄だと感じているのです。

 皆さんはいかが思いますか?


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